改めてASKAについて。

手づくり本フェアの締切が迫っているのに、毎日ASKAについて
想いを巡らせています。
わたしなんかよりもっと熱狂的なファンがたくさんいて、
その人たちはきっとASKAに対してずっと理想の男性像を
抱いてきたと思うんですよね。
純粋で繊細で、男らしくて一本気で。
なのにもうアンナカとか言っちゃって、検査キットで
こそこそ調べて、愛人シンクタンク所属みたいな変な女と
ラリッパッパ。二重あごで目をつぶって逮捕される姿。
そこがN渕GやSケン、Y・Oとは決定的な違いでしょう。
イメージが完全に失墜しちゃって、戻ってこれないかもしれない。
NPは清純(?)というイメージを木っ端微塵にしても尚、
復活しようとしてるけど、そんな図太さはASKAにはないでしょう。

本当にASKAは、過去の栄光を忘れられずに、快楽に溺れただらしないただの
おっさんだったのかもしれない。
数々の名曲も覚醒状態でできたニセモノだったのかもれない。
次々に明るみにされる情けない報道に、ファンの心も完全に離れてしまうのかも。

ただ前の日記にもふざけて書いた「埼京線に乗れればまだマシだろう」みたいな
タイトルの曲はASKAのソロ、「月が近づけば少しはましだろう」でした。
それを再び聴いてみたとき、なにかひとつの確信が生まれました。



いろんなこと言われる度にやっぱり 弱くなる
いろんなこと考える度に 撃ち抜かれて

恋人も知らないひとりの男になる

角を曲がるといつも 消え失せてしまう言葉だけど
心の中では 切れて仕方ない

この指の先でそっと 拭きとれるはずの言葉だけど
積もり始めたら 泣けて仕方ない


やっぱりASKAは本物だ。
自信があるから電話はしなくていい。(アスカ違い)
説明的な歌詞先行の曲ってあまり好きじゃなくて、メロディから
発生するような自然な言葉運びの曲の方が優れていると
思っています。
でもASKAの歌詞って独特で、普通はこういう言葉選ばないよなっていう
不自然な言い回しが多いです。
それがメロディとぴったりと一体となっていて、意味はすぐには
わからないんだけど、一度聴いたら忘れらないものになる。
それは、魂から生まれてる本物の言葉だからなんだと思います。


ASKAがすごいってことはみんなわかってるし、チャゲアスが
終わったなんて誰も思ってないはずでした。
なのになぜ、って考えたときポーランドの画家、タマラ・ド・レンピッカを
思い出しました。
何年か前にBunkamuraで観たレンピッカ展。
アールデコの時代に一世を風靡し、社交界でももてはやされる
人気セレブ画家だったレンピッカ。
しかし次第に彼女の作風は時代と合わなくなり、評価されなくなるも
絶頂の頃の作品は現代になってマドンナとかに見出されて
再び注目されるようになったそうです。

大きな回顧展なんかも開かれ、当時の絵が絶賛されて
リバイバルブームよかったね!というはずですが・・・
やたら長生きしたレンピッカは、自身の“昔の作品”が世間から再び
注目されても、あえてその頃のとは全く違う画風の絵を死ぬ間際まで
描き続けていたんだそうです。

アーティストにとって昔の作品を褒められるというのは、鑑賞者の
立場からすると悪気がなくてもけして嬉しいものじゃないんです。
それは「ダメになった」というのと同義だから。

長くなっちゃいましたが、最後に
ASKA、クスリはやってもいいけどオンナはやめてくれ!
ASKAシャブ逮捕を受けて、2009年頃チャゲアスが無期限活動休止を発表したときに
書いた日記を再アップします。
ASKAがいかに素晴らしいアーティストであるかを思い出していただきたい。

以下

私は主に小学校時代、ほんとにチャゲアス好きでしたよ。小学校のとき給食時の放送で月一回音楽ランキングがあって、
周りがB’zとかTMNに投票している中、私はチャゲアス一本推しでした。
多分一部の人しか投票してなかったんだと思うんですけど、必ず一位は「太陽と埃の中で」でしたね。
二位は確かKANだったか。KANとチャゲアス流れた日にゃあ「今日神回」と思いました。
ソフトうどん食べながら。

小学生であの糸の引くような粘りの強い飛鳥の歌声に魅了されるのはなかなか乙でしたよ。
飛鳥の歌い方は曲の最初から最後まで途切れないで歌詞が全部納豆菌でつながっているような感じなんですよね。
それではお待ちかね、私の中のチャゲアスランキングをお届けしたいと思うよ、ステイチューンド。

10、恋人はワイン色
確かベストテンではじめてチャゲアスを認知した曲だったと思います。
真っ白いスーツを着た飛鳥、演出で赤ワインのグラスがテーブルに置いてあったんですが、
それをこぼしてしまってスーツが真っ赤に!なったのを記憶してるんですけど夢でしょうか。

9、BIG TREE
飛鳥のつばきの粘りが特に色濃く出ている壮大なナンバー。全部「な」行で歌ってもそれなりに聞こえるのです。

8、no no darlin'
アルバムGUYSの中のキラーチューンでした。サビまでだまっていたCHAGEがいきなりかぶせてくる部分がすごいよくて、
このおっさんらはなんだと思いましたね。

7、僕はこの瞳で嘘をつく
今までにないアダルトな歌詞にギョっとしました。飛鳥のロックはやっぱり粘り腰のロックなのです。
でもなんとなく歌詞がオカマっぽいのです。

6、太陽と埃の中で
こどものときは一番好きでした。曲調がクルクル変わるところが新鮮で、この曲は世界一なんじゃないか、
この曲を知らない外人に聞かせたい!と思いました。
追いかけて追いかけてもつかめない物ばかりなんだということを知りました。

5、LOVE SONG
おっさんホイホイ曲です。この、不器用にしか生きられないオレ、みたいな歌詞がいいんでしょうね。

4、PRIDE
神曲ですが、チャゲアスが時々出す必要以上に深刻な曲です。ワイシャツがヨレヨレの、
都会の喧騒と会社の揉め事に疲れた男性の哀愁を歌っています。
報われないときに聞くと本当に泣けるのです。

3、DO YA DO
なんだかバブリーな調子の良さ漂う明るいナンバー。でもよくよく聞くとこれまた切なく、
好きな女を寝取られた話みたいです。飛鳥はM男なのです。

2、天気予報の恋人
歌詞が切ない。イントロからなぜか泣ける曲です。チャゲアスの歌詞にありがちなヘタレ彼氏。
自分の彼女のことを「誰のための君だろう」と悩んでしまう、飛鳥はM男なのです。
恋人は天気予報くらいに信じているのが一番いいかもしれませんね。

1、WALK
やっぱりコレでしょう。確かLOVE SONGのあとにこのシングルが出て、LOVE SONG聞き飽きたらWALK聞いて、
WALK聞き飽きたらLOVE SONG聞いてみたいなことを繰り返していました。
ほんとは天気予報の恋人の方が好きなんですが、あまりにも聞いていたので、なんとなく愛着で一位に選びました。

別枠
ASKA/晴天を誉めるなら夕暮れを待て

ASKAのモロヘイヤみたいな粘りを、CHAGEの爽やかなコーラスで補っているのがチャゲアスでしたが、
飛鳥のソロはソロで粘り全開でかっこいいのです。ワンフレーズ「うぉぅぬはぁあん ぬぉぉうん」で
やり過ごすという大胆なことをしています。
ASKAのタイトルの付け方も独特で「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」とか
「埼京線に乗れればまだマシだろう」とかなんかそんなようなのもあった気がします。
先日、『笑っていいとも』が32年の歴史に幕を閉じました。
お昼の本番から夜のスペシャル番組まで、多くの人が観て
涙したりしてたみたいですが、みんなそんなに今でも毎日
いいとも観てたのでしょうか。

主に東北は青森県で育った私にとって、いいともは夕方17時から
やってるものでした。
熱心な帰宅部だったので、小学校から高校卒業まで大体毎日
いいとも観てました。
関東の人よりも逆に青森県民の方がいいともを視聴する機会が
多いかもしれません。母にそんな青森県でのいいとも終了は
どのように捉えられているのか聞いたところ
「全然話題にもならないよ。夕方だったから」だそうです。
同じように、かそれ以上観てたかもしれないのに、やっぱり
青森県ではいいともにあまり思い入れがないのです。
タイムラグ温度差というのは侮れないです。

だからなのか涙・涙のいいとも最終回、はっきり言って気持ち悪かったです。
いざこざがあったタレントも最後だから忘れたような顔して出てくるのも
違和感があったし、スピーチもいかにタモリへの感謝と見せかけた
自分語りが多かったです。

観ててタモリさんてロートレックに似てるなぁと思いました。
二人の共通点
・幼い頃の事故による身体的障害
・ものすごくメジャーなところにいるのに根がアングラ
・料理など多芸多趣味
・多くの人に囲まれて慕われるも本質は孤独

マイケル・ジャクソン、小沢一郎同一人物説や、
宮沢賢治・ゴッホ同一人物説などいろいろありますが、
私は人間のパターンなんて無限ではないと思うので
いろんな国にその国のその人がいると信じています。
多分どこかの国にぱらぱらみたいなことやってる
アゴのしゃくれた女性がいるはずです。


昭和の頃は「嫌いな芸能人」と言うと必ず名前があがるのがタモリでした。
誰もタモリにさんをつける人はいませんでした。
グラサンの奥の目が笑ってないことで有名でしたが、今では笑っていますね。
芸能人からも素人からも神様のような崇められ方です。
私もタモリさんは好きですが、胡散臭くてアブない気持ち悪さが残っていた頃、
でもほんとはインテリジェンスっていうバランスの時代がよかったです。

小さい頃『世にも奇妙な物語』がほんとに怖くて、でもいいともでふざけている
タモリが出てくるからちょっと安心するねって母に言ったら
「だから余計怖いんじゃない」って返されて絶望したのを覚えています。
発売となったMonkey vol.2の記念イベントとして
SWITCHの編集社内のカフェで行われた柴田元幸さんの
朗読会に参加してきました。



自分で勝手に参加したつもりでしたが、行ってみると
招待になっていて恐縮しました。
柴田さんが今回チョイスした11人の作家の雑誌には
載っていない作品を一人で朗読したり、エピソードを
語ったりしていました。

11人中川上未映子と村上春樹以外は名前も知らない
作家ばかりで、朗読聞いてもどうかなと思っていましたが
これがどれもすごくおもしろくて、聞き入ってしまいました。
特によかったのはジョン・ロバート・レノンという人の
超短編。シュールでシニカルで笑えるんだけど、少し
いい話みたいな感じでクセになります。
もっとたくさん読みたいんですが、ググってもジョン・レノンしか
ヒットしません。

それと、会場でも一際ウケていたのが、私が挿しパラパラを
描いたスコットランドのアグネス・オーエンズの小説です。
柴田さん自身も今回この作家を紹介できたことが嬉しいと
言っていました。
雑誌に載っている『機能不全家族』ではなく、別の短編小説を
朗読してくれたんですが、80代のババア二人が100才の
ババアを訪ねる話で、ババア同士の謗り合いが面白くて
腹筋が崩壊しそうになりました。
ショートブレッドにウンコがついているとかスコットランドジョークも
飛び出して。
イベント中に私のパラパラを皆さんにめくって見せていただいたり、
こんな腹筋が崩壊しそうにおもしろいアグネス・オーエンズの
装丁をやらせていただいて本当に光栄でした。

柴田さんは東大で小沢健二の恩師ということでも有名ですが、
インテリぶったところのない気さくで優しそうな方でした。

思ったのは、世界中のすべての本は大体ジュンク堂かアマゾンに行きゃあ
手に入ると思っていたけど、未だ翻訳されていない、読む術のない海外の
本っていうのがたくさんあるんだということです。


ジョン・ロバート・レノンの超短編が読みたい・・・。

 
何年か前に会社の研修で教わって、結構当たるなぁと
思って以来、信頼してるのが「個性学」というやつ。
よく長ったらしくてだんだんよくわからなくなってくる、
「思う・かなり思う・どちらとも言えない・思わない」とかいう
テストをしてタイプに分けるのがありますが、個性学は違います。
生年月日でわかります。ただの占いじゃん!って思うかもしれませんが
その時の気分や本人の思い込みで変わる心理テストより
何百万という統計から生まれたこの手の診断の方が信ぴょう性があると思います。

個性学では大きく3タイプに分かれます。

・大物志向・・・とにかくスゴイと言われたい
・人志向・・・みんなに好かれたい
・城志向・・・自分の目標をクリアしてその対価を得たい

よくわからないと思いますので具体的な例を挙げると、
自分の仕事や自分に対する評価として、なんと言われたら
一番うれしいか考えてみると、
「あなたのアイディア、社長がすごいって褒めてたよ」
「あなたのアイディアのおかげで、みんなが喜んでたよ。感謝してたよ。」
「あなたのアイディアのおかげで、○%効率が上がったよ。給料アップするよ」
誰でも褒められたいし感謝もされたいし給料も上がってほしいとは
思いますが、どの評価が一番自分にとって価値があると思えるかで
大体タイプがわかるんじゃないかと思います。

ちなみに私は大物志向です。100人の凡人に受け入れられるより、1人の偉人に
認められる方が価値があると思います。
3つの中でもさらに4つに分けられて、それが動物占いの基礎になっているのだとか。
子供向けですが、こちらのサイトでも調べられます。
先日すごく久々にMステを観たら、いろいろ衝撃でした。
モーニング娘のダンスが一世風靡セピアみたい。ソイヤソイヤしてる。
あと謎のほっかむりの人がいるグループが、CMで話題の曲を歌うと
いうのですが、そのサビの部分がオリジナルラブの1993年の名曲、
『接吻』に生き写しというか、ちょっと音痴な人がカラオケで
ハズして歌ってるくらいそっくりでした。
カバーではないそうです。

ちょうど最近きゃりーぱむぱむも、GAOの1992年発表の代表曲
『サヨナラ』に最初っから最後までおんなじの新曲を出したと
いうことで話題になっていました。
オリジナルラブに関しては、加藤の番組スッキリで
「ほんとにオリジナルですか?」と突っ込まれていたそうです。

常々Jポップ史の中で90年代、特にシブヤ系がなかったことにされて
るんじゃないかと思っていたけど、これはもう歌う人本人も、周りの大人たちも
元ネタに気がつかないくらい世代交代しきってしまっている状況なんでしょうか。

こういうパクり論争って結局のところ本当のオリジナルなんて幻想じゃん、と
その道に造詣の深い人ほど結論づけてしまう傾向があるけど。

私もほっかむりの人の歌を聞いたとき、「うへ!こんなに堂々とパクっている!」と
びっくりしたけど、それは私が湘南乃風よりオリジナルラブの方が好きだから
なんですね。湘南乃風のファンはオリジナルラブの元曲を知ったところで
だからどうしたって言うでしょう。

中学のころ青森の小さな街で、あるバンドのことがものすごい好きだったんですよ。

もちろんこの人たちの曲が好きだった。でも大人になるにつれて、いろんなところで
ジャズとか洋楽を耳にしてると、このバンドのパクり元に出会うことがよくあるんですね。
「うわっこれは!」と思って確かめると、彼らが昔ラジオで好きだって言ってた
海外のバンドだったりしてね。
当時の音楽業界では嫌われたり笑われたりしてたんだろうと思います。
でも私にとっては彼らの曲は彼らの曲で変わりないんですよ。
似てることはわかったけど、別物。

そう考えると今ほっかむりやきゃりぱむを聴く若い子に「いやいやこれは20年前の
ある曲のパクりでね・・・」って言う意味がないかもしれない。
「20年前?それって戦前?」とか言われそう。

かといってなんにも気にしなくていいかと言えばそうじゃないと思います。
似ちゃうのはしょうがないけど、気にしないのは傲慢。
鑑賞者としては、オリジナルを知らないことはやっぱり罪。
そして表現者としては、不可能でもオリジナルを追い求めるのがルール。
ルールが壊れちゃうとそりゃもうどうしようもないですもんね。

 
本の感想。

『ユーミンの罪』酒井順子
5時に夢中でオススメされていたので買いました。
職場の40代の女性上司も「これわかるぅ〜」と言っていました。
前にブログにも書いたけど、ユーミンは自分は松任谷との早婚、
レベルの高い結婚生活を維持していながら、世の女性たちが
間違った方向へ突き進むのを応援する役割を果たしてしまったというもの。

筆者の言い分にはユーミンの曲に人生そこまで影響されるかいねと
思いましたけど、本の中に出てくるユーミンの曲は半分くらい
知らない曲もあって、その歌詞というか言葉のセンスにほんとに驚く。

夜明けの空を称して「コバルトアワー」
「悲しいほどお天気」(○○なほど○○、という表現の先駆け)
80年代のスキー&サーフブームを「サーフ&スノー」と名付けた
「私を○○へ連れてって」(著者は80年代の恋愛形式を「連れてって文化」と呼んでいる)

あとユーミンの歌詞によくある「助手席感」。
自分はスポーツをしないんだけど「○○をやってる彼のカノジョ」として
遠くから観ているポジションとか。
私は80年代〜90年代は恋愛どころか目ヤニを付けて学校へ行くような
女子でしたからとんとわかりませんが、それでもああこういう空気確かに
あったよなぁと思いました。

中でも『DOWNTOWNBOY』って歌詞が切なくて結構好きな曲なんですが
酒井さんはこの曲は(私立の女子大に行くような)お嬢様が、人生経験の
一つとして高卒で工場で働くような男の子と付き合ってみたけど
やっぱり二人の住む世界が違って、それを上目線で回想しながら
歌っているんだと書いてあって幻滅しました。


『ナニカアル』桐野夏生
桐野先生のご本は読み出すとかなり引き込まれて持ってかれてしまうので
読みたいんだけどあえて避けているところもあります。
『ナニカアル』もおもしろくて久々に朝の4時まで読み続けました。
でんぐり返しで有名な『放浪記』の林芙美子の死後、その家族が
芙美子が従軍作家として海外に赴任していたときの手記を発見したら
ヤバいことが書いてあった。これどうしよ。という話です。

内容としてはやっぱり桐野さんなのでドロドロの不倫とか性愛ばっかりで
林芙美子はどう見ても美人ではないので、こんなにエロい人だったのか
うえ〜と思いましたが、当時の「ペン部隊」と呼ばれた従軍作家たちの
くだりは本当にリアルで、実際にこういう手記が残されていたんじゃないかと
思うくらいでした。桐野先生は人の感情を描くのが上手いですが
ドキュメンタリー作家としても充分の筆力があるのですね。

林芙美子が、派遣されたジャワやシンガポールでスパイの疑いを
かけられていた新聞記者とあれやこれや性愛に励み、結果子供を
授かるのだけど記者とは破局してしまったので、こっそり産み落として
養子として迎える、という虚実入り混じったストーリーです。
本当に芙美子は結婚後も愛人がたくさんいたらしいし(あの容姿で!)
事実どこからか謎の養子を連れてきて育てていたそうなので
ありえなくもないのですが。
私は奔放でだめんず好きだった芙美子と、一途に献身的に支えた
誠実なパートナー、画家の手塚緑敏さんがいい夫婦であったと
信じたいので、最後はそんなような記述があるんじゃないかと
思ったんですけど、最後まで夫はどうでもよさそうな芙美子だったので
がっかりでした。


これが事実だとしたらあまりにも旦那さんが浮かばれない・・・。

でもそれだけ激しい恋に身を焦がした相手の新聞記者にも、
自分の作家としての才能をけなされたこと(「お前は女としては
好きだけど、お前の作品なんざ『放浪記』以外は後世には残らない。
その程度の作家だよ」みたいなことを言われた)で一瞬にして
冷めるところが、「作家」林芙美子だったんだなぁと
思います。普通の女性ならあまりそういうことはないでしょう。
桐野先生もそうなんじゃないかなぁ。物を作る女は、作家である前に
女であるかもしれないけど、やっぱり作家なんですね。

 
スリランカで感動したことのひとつに「国中の人が共通の神話を持っている」という
ことでした。しかも紀元前から現在まで、子供からお年寄りまでみんなです。
はじめて会った人と「アナンダ(ブッダの弟子)がさー」とかいきなり話ができる
わけですよ。すごいことですよね。

スリランカを旅していて急に読みたくなって、実家から手塚治虫『ブッダ』を
取り寄せて読みふけりました。
『ブッダ』は小学校くらいのときに親が生協で買ってくれたような気がします。
何回も読みました。やっぱりむちゃくちゃおもしろい。絵がかわいい。

実際の仏典はどうなのか確かめる気もありませんが、かなり手塚氏の
編集が入っているんですね。たくさんのいろんな業を背負った人物が
一人一人ブッダについていくようになる物語、だと思っていましたが、
今通して読んでみると、「ブッダに従わなかった人の物語」でも
あるんだなと思います。


家族を殺された恨みだけは捨てられなかったタッタ


歪んだ心根と野望は最後まで変わらなかったダイバダッタ

タッタは手塚氏の創作で、一二の三四郎みたいな豪放磊落キャラ。
もう一人の主人公とも言われています。私も大好きなキャラで
象に踏まれて死んだときはショックでした。
ダイバダッタは実在の人物で、ブッダを欺くユダ的なポジション。
映画『釈迦』では勝新が演じていたそうです。

ブッダの生涯を通しても、この二人の心は変えられなかったことこそが
仏教の深さなのかなとも思えます。
それを手塚氏は描きたかったんだろうなと。

ブッダそのものは気が弱くて、悩みも深くて、胃腸も弱かったらしいし。

オマケ
 スリランカの大型スーパーの仏像コーナー
 
完全に日本でのハロウィンが、沸点に達したというか、
有吉さん風に言うと「ついにバカ全員に見つかった」と感じた2013年です。
私の職場のあるシヴヤは、街をあげてハロウィンの聖地に
しようとしているらしいです。余計なことを。

KEKKON式を終えて、ひしひしと感じたのは人前式の
誓いの言葉で「相手の立場に立ち・・・」とか言っているくせに
未婚(この表現も嫌いだけれど)の友達に「次あなたのときは・・・」
みたいなことを言ったりしてしまった自分がイヤだということです。
結婚は悪いことじゃないけど、人から大金をむしって祝わせるほどの
ことではないと今でも思っています。
ひとつの人生の選択というだけだから。
でもいざ自分がその立場に立ってみるとそういう杓子で測った
言動に出てしまうっていう。
もし子供ができたりしたら、今度は子供のいない人に子供子供いうような
絶対になりたくない人間になってしまいそうです。
自重します。

あと自分で思っていたより腕が太くて、思っていたとおりアゴが出ていました。
特にしっかりメイクで顔をドーランで塗るので面積が強調されるのでしょうか。

今年は何かと出たいイベントやグループ展を諦めたりしましたが
11/4の第17回文学フリマに出展予定です。
ブースは「ウ-69」という覚えやすい番号です。
全く新作はありません。
映画をテーマにした「パラパラ座」、文学をテーマにした「パラパラ文庫」、
ゲームをテーマにした「GA」と「ME」などどこかで見たことのある
企画物だけ持って行ってお茶を濁す予定です。

よろしくお願いいたします。
 
最近高円寺ばかり行っています。
今度は高円寺の円盤というところで
行われるこちらのイベントに顔を出させてもらいました。

第4回 アニメーション総合文化研究会「めくる めくる ぱらぱらマンガ」
日時:2013年6月14日(金)
19時〜(ぱらぱら漫画のお話は後半の20時50分頃〜)
会場:高円寺 円盤 参加費:¥1,500(1drink付き)
http://asobuken.blogspot.jp/

パラパラ漫画の話をみんなでしたり、販売品も少し持っていきまました。
パラパラ漫画界の姐さん、あしたのんきさんがトークをして、
私はガヤを入れていました。
もっとパラパラ漫画って、語るべきことや考察できることいっぱい
あるのでしょうが、文化というものは実際に作る人の他に
「高度な鑑賞をする人」というのがあって伸びていくものであり、
パラパラ漫画の場合この「高度な鑑賞をする人」がほとんどいないのです。
作ってる方はただ楽しくて作ってるんだし、観る方もただおもしろくて
観ているという状況なので、ほとんど議論にはならない感じでした。
でも実物があったので、とにかく実際観てもらうだけでオッケーでした。

お客さんは10名強だったのでしょうか。ありがたいことに私の持っていった
フリップスライダーを結構買っていただけました。
やはりこういうところに通う人は研究脳なのか、興味を持つとわりとすぐに
買ってくれます。作家脳は逆に簡単に他人のものを買わない傾向があります。

この企画、またやってほしいです。


帰り道、某猫型ロボットのアニメの作画をやっておられるパラパラ仲間の
Nさんとお話させていただきましたが、「あいつら5人全部すごい動くから大変」と
おっしゃっていました。