最近滞りがちですがニヒル牛マガジンの方で続けさせて

いただいている映画感想ブログ『tamaxのマズい映画でも無いよりはマシ

なんですが、先日たまたまエゴサーチしていたらどっかのまとめサイトに

内容をまるっと使われているのを発見しました。

 

https://middle-edge.jp/articles/5wUy5?page=2

 

私の書いた『フック』についての感想の半分以上をそのままコピーされて、

“出典”とだけ書かれています。

もちろんこのライターさん及びサイト運営者から連絡など一切ありません。

100歩譲って私の書いた文章をそのまま勝手に使ってしまったとしても

それを引用して自分の考えをそれ以上長く深く書いているのならまだ

いいです。

ところがこの記事のライターさん自身の言葉はほんの一行だけ。

 

「物語には、色々な切ない真相が隠されているんですね。」

 

いやいや感心してる場合じゃないよと。これでお金もらってるんですからマジで

webメディアというのは気楽な稼業と来たもんです。

ただ私の戯言にそれほど価値があるとも思えませんし、私自身ブログを

書く時の映画の画像は拾ったものだし、目くじらを立てる権利はないと

思っています。

 

しかしどうもキュレーションメディアとかバイラルメディアとかいう

中国のテーマパークみたいなコンテンツとやらには抵抗があります。

志高く、本当に各ライターが誇りをもって有意義なサイトを作ろうと

しているサイトもあるんでしょうが…。費用対効果が難しそうですよね。

何がいやかってパクりで儲けていることよりも、なんでもそうなんですが

「不特定多数の人間にウケようとしている」魂胆を持ったものが

嫌いなんですね。

しかもそれがコトバや画像といった表現の分野で。

「たくさんの人に受け入れられるように」とか「多くの人に愛される」とかって

ほめ言葉のように使われますけど、そんなものになんの価値があるでしょうか。

私は漫画でも映画でも音楽でも、結果的にファンがいっぱいいて多くの人に

受け入れられていたとしても、作者が「どこかにいる誰かひとりのために」

作ったんだと感じられるものが好きなんですよ。

誰かひとりというか、自分だけのためにっていうかね。

作者から私への私信のように感じられる作品。

 

だから昨今のシェアされることを前提に書いたみたいなブログ記事とか、

大人から子供までみんなに愛されようとしてるアート作品とか、

量産型の女子に共感されようされようとしてる歌だとか、

一斉送信のメールみたいで何もおもしろくない。

自分が何か作ったり文章を書いたりするときは、それは本音を言えばたくさんの人に

受け入れてもらえたらうれしいですけど、作ってるときの気持ちは

いつもどこかの誰か一人のためにありたいなぁと思うわけです。

 

 

 

 

 

コメント
>「たくさんの人に受け入れられるように」とか「多くの人に愛される」とかって
>ほめ言葉のように使われますけど、そんなものになんの価値があるでしょうか。

全くです。全面的に賛同します。
自分の作品が一人よがりなのでは、という不安は表現を続ける限りつきまといますが、多数の他者をよがらせるのを優先するあまり自分をよがらせられないような表現は、そもそもする意味がありません。
ひらたさま
全面的な賛同ありがとうございます。
好きなだけの表現も、自己満足になりがちですが
自己を満足させられないんならわざわざ素人が
なんかする意味ありませんもんね。
  • by tamax
  • 2016/07/25 10:27 PM
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