読書感想文です。

ブレイディみかこ『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』



イギリス在住の日本人であるブレイディみかこさんとその配偶者と

11歳くらいの息子さんの日常を描いたエッセイです。
イギリス、うほ!と思って読みましたが、ヤングアダルト向けと思っていたけど

全然大人が読んでも面白いしほんのりいろいろと考えるいい本でした。

というのも私が父の仕事の関係でニュージーランドに住んでいたのが、

著者の息子さんと同じ11歳から12歳のころで、11歳から中等部に入る年齢なのでちょうどかぶるのです。
お話は、著者の息子が私立の名門カトリック小学校から、地元の「元荒れている」

公立中学校に進学したところからはじまります。


やはりイギリスでも私立はまあわりと中流層だったり、意識の高い方々が通うところで、

そういうところの方が外国人も多くて差別もされなかったりするので、

著者も最初はそのままカトリックの私立校に行った方がいいだろうと思っていました。
しかし、息子が選んだのは元荒れている公立校。昔の評判はよくないものの、

今は校長先生も変わって教育にも力を入れだし、なにより子供たちの自由を尊重するように

なってから人気も出て治安もよくなってきたとか。
ぬくぬくとしたカトリックの私立で育ってきた息子さんにとっては、急にリアルガチな、

そしてホワイトな社会に飛び込むことになるので、いろいろな差別やいじめ的なことも
経験するのですが、その中でたくましく、素直に、成長していく様が見ていて頼もしいのです。

ニュージーランドもイギリス領でしたから文化はかなりイギリス式で、

行事とか文化とか共通するところがありました。私の頃は日本人学校が同じだった子たちは

外交官のご子息ご令嬢でしたからやはりカトリック系の私立中学に通っている子が多かったです。
私はそんなんじゃないので地元の普通の公立中学に行っていたんですが、

そちらの方が保守的というか人種差別も日常茶飯事でしたし、校内で財布を盗まれたこともありますし

今覚えばあの子はどんな家庭環境だったんだろうというような子たちもいました。

著者の息子さんが通う中学で「ドラマ(演劇)」の授業があって、それは貧困家庭や虐待などを

受けている子は感情を表現することが苦手なためそういったカリキュラムが組まれているそうで、

思えば私の行ってた中学にもドラマの授業ってあったんですよね。

あれはイギリス系公立校独自のものだったのか。

アジア人への差別もこの本の中では大きいテーマの一つなんですけど、私がいたころ

(1991年ころ)でも普通に毎日馬鹿にされてましたけど、この本の書かれた2018年とかでも

まだまだ同じなんだなと思いました。
著者の息子さんは混血なのでイギリスではアジアの血が入っているから差別され、日本でも差別されと大変です。

私は期間限定の駐在だったんで別に耐えられましたけど、彼らの場合は一生続くわけですからなかなか厳しいですよね。

 


でも昔とちがっているのはそういったレイシスト的なものの見方は子供たちの間でも時代遅れなものとされはじめていて、

著者息子の友達がけっこう差別的言動をする子で、今度はその子の発言を非難する形でいじめが起きていました。
そのことについて、著者が息子さんに「みんな他人をいじめるの好きだもんね」と言ったら息子さんが

「いじめるのが好きなんじゃないよ。みんな罰するのが好きなんだ。」

と答えたのが名言出たー!って感じでした。


罰するのが好きなんですよ、本当に。みんな私人警察系ユーチューバー。

思えば旦那の小言も、職場の人間関係のいざこざも、みんな「罰する」という形をとっていますもんね。

罰することを見つけたとき、人はイキイキしますね。

そんな感じで基本的には差別や多様性やその他もろもろを中心に進んでいくのですが、ようやっと、

時代は変わり始めているということ、そして変えていくもはいつだって子供たちだなぁと、

かつての被差別児童だった私も思いました。
そして、やっぱりこういう経験って養殖のいけすのような私立校では得られないものなんじゃないかと、

息子の進路をこれから考えなくてはいけない親としても考えてしまいました。

とても面白かったんで、誰かかわいい子役を使って映画化してほしいです。

監督は、思春期の少年を描くのが神がかっている『リトルダンサー』や

『ものすごくうるさくて ありえないほど近い』のスティーヴン・ダルドリーに

お願いしたい!イギリスだし!

最近、私の元職場が完膚なきまでにぶち壊されていると

聞いて興味本位で呪術廻戦をちゃんと見始めました。

 

主人公が指食って、パンダやおにぎりの具でしゃべる先輩がいる、

あと五条悟って人がかっこいいくらいの知識しか

ありませんでしたがちゃんと1シーズンから。

複雑で難しいね!でもなにやらかっこいいし面白い気はする。

 

息子も一緒に観ていて、ちょうどくら寿司でコラボしていたので

行ってきました。普段寿司を食べない息子1ですが、くら寿司は

5皿集まるごとにスロットに投げ入れると、ガチャガチャが

できるというシステムなので珍しくお寿司をいっぱい食べてくれました。

しかし残念ながら(失礼)出てきたのはパンダ先輩の缶バッチ。

あと帰りに五条悟のクリアファイルはもらいました。

それで記念に店の前で撮影をしていると、若いお姉さん二人組が寄って来て

「これ好きならあげる」と言って、缶バッチを息子1に譲ってくれたのです!

写真撮っててよかった!しかも、息子1の好きな狗巻先輩だったので

息子1は嬉しみでかたまっていました。

やっぱり当たりは無欲の人のところに出るのでしょうか。

 

 

いやはや。

鬼滅や呪術、ヒロアカとか最近のアニメは毎週視聴者を惹きつけておかないと

そのほかの無数のコンテンツに負けてしまうからか、30分の放送の中に

エモをとにかくぶち込んできますね。

こんなセリフ、こんな葛藤、こんな走馬灯、もう最終回?って毎回思いますもんね。

そう考えると昔のアニメって競争率が低いせいか平和だったっていうか

しばらくなんにも起きない回とか普通にありましたもんね。

 

そうでなくても私は、タッチで言ったら達也が甲子園出場を決めたボールを

失明しかけて入院してるいろいろあった監督の手に持たせ、

「なんだ?」

「りんごです。ほんじゃ!」

っていうシーンで鳥肌と涙ブワーなるくらいの昭和の人間なので…

あだち充はここぞ、というシーンでなぜか南の新体操姿のアップを差し込んでくる

くらい極端にエモの出し方を抑えたあざとい作家ではありますが、昔の

アニメってこんなもんでしたよね。

 

唐突にずっとタッチの話になりますが、私は西村勇ちゃんが好きでした。

達也のライバル校のエースなんですが、お顔は野性的でよく自転車でコケるし

けしてイケメン枠じゃない三枚目ですが、私は達也よりずっと勇ちゃんが好きですね。

勇ちゃんは結構最初の頃から南のことを追っかけてるんですが、当然相手にはされず、

勇ちゃんのことを想ってくれているのは幼馴染でマネージャーの鈴子っていう

なかなかのブスな子だけ。

勇ちゃんは設定的にはもう一人の運命の子、達也なんですよね。

 

しかしながら勇ちゃんは変な球投げすぎてひじは壊すし、身内の不幸もあったりで

甲子園出場ならず。最後まで脇役のまま終わるのでした。

しかもなんと、鈴子と付き合ってその後結婚までします。

そんな勇ちゃんの一番好きなシーンはここ。

南に、告白兼あきらめる宣言とともに

「今度生まれてくるときはぜったい南ちゃんの隣にするからね。幼馴染になろうね。」

 

私は勇ちゃんは喜んで鈴子を選んだわけでもないと思います。(鈴子ごめん)

誰だって達也になりたいし、南になりたいんですよ。圧倒的主人公サイドに。

でも人には分相応というものがある。

自分は自分の人生の主人公ではあるけれど、この世界の主人公ではないと悟っているんですね。

でもその人生が不幸かといったら決してそうではなくて、私には十何年後、子供三人くらい連れて

休日にららぽーととかにいる勇ちゃんと鈴子の姿が見えますよ。

もちろん勇ちゃんは赤ちゃんを抱っこ紐で抱っこしています。

 

あだち充はとくにひどくて、達也のいる明青学園野球部なんて、達也とキャッチャーのこぶ平以外

へのへのもへじみたいな部員しかいないんですよ。よくそんなんで優勝できたなって感じですけど。

こんなん今のアニメだったら同じチームにどんだけのキャラ立てるかってことです。

まず絶対一人はサイコパスいるし、目の色が左右違う奴とか、無駄に中盤闇堕ちする奴いるでしょ。

女性だって南以外はみんな同じ顔じゃなくて、いろんなタイプ取り揃えてくるでしょ。

 

その点、呪術とか見てると脇役が全然脇役然としていないっていうか、どのキャラクターも

かっこよかったり可愛かったり強かったりで、むしろ主人公はそれらのキャラを引き立てる

媒介者なのでは?と思うくらいです。

本当に今っぽい。

その理由としては、いかにたくさんの「推し」を作らせてコンテンツを太らせるかというのもあるし

こういう群像劇を見ることで、自分も主人公サイドにいられるような錯覚を持てて救われる

人が増えているのかもしれませんね。

 

こういう価値観の中で育つ子供たち。我々の頃みたいにクラスで輝いているのは一部の上澄み層だけ

みたいなのとはまた見えてる景色が違うんでしょうか。

注意深く見守っていきたいです。

先日、43歳の誕生日を迎えました。広末涼子と同学年です。

 

おないの広末が角とヒゲの間できもちくなっているのを見て

どこからそんな元気とやる気が出てくるのかと眺めていました。

広末だけでなく周りの同世代が、ゴールデンカムイやら赤井秀一やら、

沼にハマってうるつやしているのを横目に、ここ10年くらい何かや

誰かに夢中になるということが全くなかった私が、不思議に43歳の

誕生日を境に、今さらハリーポッターにハマったのです。

 

実家に弟と母が読んでた原作もあるけど読んでないし、

映画はそこそこ不死鳥の騎士団くらいまでは観てて

どちらかというと好きくらいの温度だったハリポタなんですが、

鼻がこそげ落ちてる闇の帝王が復活した辺りからなんか

シリアスで複雑になってきたのでそこで離脱していました。

きっかけはやっぱりNetflixで、そういえばどうなったんだっけ?と

思って謎のプリンスから死の秘宝までを通して観てみたら

私が好きだったロンとハーマイオニーのやきもき関係が一気に

進展していてラストに至ってはドエモい展開になっているでは

ないですか。

 

そっから一気に引き込まれ、今となっては毎日暇さえあれば

アズカバンの囚人→炎のゴブレット→謎のプリンスを延々ループして

ファンの人の考察ブログやyoutubeなんかも観たり、死の秘宝にいたっては

毎晩寝る前にかいつまんで観ないと眠れないくらいになってしまいました。

 

知れば知るほど奥深く、面白いハリーポッター。

しかも大好きなイギリス映画の俳優総出演なので、死の秘宝で

魔法大臣役でラブアクチュアリーの落ちぶれ歌手ビル・ナイや

 

ノッティングヒルの恋人の、ヒューグラントのイカれルームメイト、スパイキーが

ルーナのお父さん役で登場したり。

 

 

徐々にハリポタ世界に足をズブズブしている状態なんですが、基本的には

ロンとハーマイオニーのカプ推しってやつなんですね。

ほんとにこの二人は一生仲良く幸せにいてほしい。

ロンがもともと大好きだったんですが、謎のプリンスあたりからブクブク

太り始め、せっかくハーマイオニーと結ばれる死の秘宝の頃には

けっこうな白ブタになっていましたがそれでもかっこいいロン。

ビジュアル的には炎のゴブレット辺りのまだシュッとしてて赤ロン毛が

似合ってたロンが一番いいですね。

ロンを演じたルパート・グリントさんはその後も白ブタのまま定着して

しまったようですが、それでもロンの面影はずっとあって大好きです。

最近長年の付き合いの彼女と結婚してお子さんが産まれたという

パパラッチ写真を見ましたが、奥さんの女優さんも太ってて2人して

ピザを三枚くらい食べそうな微笑ましいカップルでした。

プライベートでも幸せそうで良かったです。

 

次回は、急にハリポタにハマったことで自分の趣味がはっきりわかったので

その話を書きますね。

コロナになっているうちに夏が終わってしまいました。

すっかり秋ですね。

 

ここ最近、久々にクリーンヒットしたドラマがありました。

Eテレの日曜夕方、海外のティーン向けのドラマ枠ではじまった

「こちらベスト探偵団」というシリーズです。

たまたま第三回の放送を息子1と一緒に観ていたら、息子1が非常に

興味をもち、今迄の放送(と言っても二回分だけど)を観たい観たいと言うてから。

 

調べるとNetflixオンリーで配信されていて、2シーズン完結しているらしい。

実は我が家はこういったアマプラとかネトフリとかフールーとかなんにも

やったことがなかったんですが、なぜか私もどうしてもこのドラマが観たくなり

ついに契約してしまったのです。

 

 

Eテレの方はタイトルも微妙に違い、声優さんも別人です。

できるならNetflixの方を観てほしい。子役が演じていてより可愛いです。

一話から観てみて、息子も私もこのシリーズが大好きになってしまいました。

舞台はオーストラリアの郊外、ムーラビンという小都市。

ムーラビン小学校に通う小学五年生四人組が探偵社を起業し、

その辺で起こる様々な事件やトラブルを解決していくコメディ。

 

事件と言ってもクラスで飼ってたカメがいなくなったとか、親友の秘密を

バラしたのは誰かとか、日常の些細な出来事なのですが脚本が抜群に

うまく、テンポもよくて面白くて仕方ない。

子供のころから『アイとサムの街』(角野栄子)とか日常の謎解きものが

好きだったので、童心にかえってめちゃくちゃワクワクします。

子供の探偵団は大体ボランティアですが、ベスト探偵団はちゃんと

金取ってるとこもいい。報酬でドローン買ったりしています。

 

インテリアや服装などもオシャレ。

Moorabbin Primary School ←舞台はここのようです。

 

 

ネイビーと水色の制服があって、これがまあかわいいこと。

ポロシャツ、ブラウス、ジャンパーなどのほか、ハットタイプの帽子も数種類。

オーストラリアとニュージーランドは、公立でも制服がある学校が多く、

とくに紫外線が強いので帽子はかなり重要なアイテムらしいです。

ドラマの中でも帽子をなくすと校庭で遊ぶことができず、「日よけ小屋」という

オーストラリアの小学校には必ずある屋根付きの場所にいなくてはいけないとか。

 

あとカップケーキとかクッキーとか手作りお菓子を売ってカンパを募りがち。

学校の行事では親の同意書が必要とか、オーストラリアの文化がまたアメリカや

ヨーロッパと違って興味深い。

学校の文房具は共用のようで、グルーピングされた丸テーブルの真ん中にカラフルな

ペンスタンドがあってその中から取ってそれぞれ使ってるみたいだとか。

結構共働きの家庭も多く、基本給食はなくてお弁当持参みたいですが

ランチアンケートといって仕出しのサンドイッチとかピザを注文できるらしく

それが金曜日はとくに多くてその理由が「疲れ切った親たちがみんな頼むから」だとか。

 

 

あと一番惹かれる理由が笑いのセンス。

基本的にはキャラクターコメディで、こういうキャラの人っているよねという

あるあるネタだったり、どのキャラクターもかわいいとかいい奴ってだけではない

クセがあって、そこから生まれるギャグが本当に笑える。

7歳の息子1もゲラゲラ笑っています。

 

私は日本に近いと言われているイギリスのユーモアが好きなんですが

オーストラリアにもイギリスの影響がたしかにあって、シニカルで

ひねりの効いた感じ。それでいてオーストラリア独特なのか

おおらかでのんびりしたエッセンスもあって、絶妙に面白いのです。

この「自分も他人も嗤う」という感覚が、なかなか日本には根付かないんですよね。

最近はとくに、他人を揶揄したり貶めて笑いを取るのはタブーのような雰囲気が

テレビ界にもありますけど。他人も自分も嗤えると、すごく気が楽になるんですけどね。

みんなバカでみんないい、みたいな。

 

とにかくこのベスト探偵団に出会ってから、私の身体は日本の東京の下町にありながら

心はメルボルンの小学校に行ってしまって帰ってこないくらいなので、ぜひNetflixが

視聴できる方は観てみていただきたい。

 

 

息子1が意外にマカロンが好物だったことがわかりまして、

息子1の食べられるものは逃したくない私は

以前から気になっていたダロワイヨのマカロンサブスク『マイマカ』を

はじめました。

 

マイマカカードというのを店頭で1000円で買い、それを持ってお店に行くと

毎日1個好きなマカロンがもらえるというサービス。

さっそく申し込みをし、まずは1個もらってきました。

 

実はダロワイヨは職場の近く、というかほぼ職場にあるので昼休みに

毎日でも取りに行けてしまうのです。

とはいえ、そんなマカロン乞食は恥ずかしいので、週に1、2個かなぁと

思っていました。

 

マカロンサブスクを以前からやっている職場の20代に、私もはじめたよと

伝えつつ「でもなんだかんだ言って何回かに一回はちゃんと買うんでしょ」と

聞いたところ驚いた顔をして、

「買いませんよ!サブスクの意味がないじゃないですか。恥ずかしげもなく

毎日もらいに行ってます」とのこと。

これはカルチャーショック。

 

長年小売業にいるために、こういったキャンペーンとかサービスを見ると

それをきっかけにお店に来させてついでに他にも買ってもらおう作戦なんだな

という風にとらえてしまっていたのですが、確かにその子の言うように

「サブスク」だと思えば、最初に定額を支払ったらあとはその範囲で

目いっぱい利用しますもんね。

むしろ買ったりしたら損だと思うって感じです。

 

もう消費者は使いたい放題とかそういうのに慣れているから、毎日

マカロンもらいに行くことに恥も罪悪感も感じないようになってきているのかも

しれません。

 

先日楽天モバイルがついに0円携帯を終了して980円だかからお金がかかると

発表した途端、怒って解約する人が増えたそうですね。

企業としてはこれまでの0円プランは定着してくれるまでのサービス期間で

あくまでこれからはお金を払って継続してほしかったんだと思うんですが。

もうこういう昔ながらの商法は通用しなくなってきているんですね。

どうやったらお金を使いたいと思ってもらえる商品やサービスを作っていくか

が大事ですねぇ。

 

そんなわけで、私ももう1000円という義務は果たしたので、その中で

存分にマカロンを楽しむことにしましたよ。

会社に行ったときにもらって鞄に入れて持ち帰るので、繊細なマカロンちゃんが

つぶれないようにプチプチで専用持ち運び袋まで作って。

 

職場や家の近くにダロワイヨがある人、マイマカはじめてみてはいかがでしょう。

(せめて宣伝してあげよう)

新作のみたらし団子味も出てましたよ。息子に食われたけど。

 

最近息子1がドラゴンボールに興味を持ちました。

 


誰が誰の子供でどういう関係なんだとしつこく聞いてくるので調べると、悟天も悟飯も悟空の子供だったんですね。

悟天は孫かと思ってました。しかも全員悟空の大中小なのかと思っていたら、悟飯だけは髪型も違うしにネクタイ姿で

インテリキャラとのこと。みんな頭空っぽってわけじゃなかった。

それより劇場版の新しいやつで、孫悟空ファミリーがブルマの誕生日パーティーとやらで一堂に会するシーンが

あったんですが、全部同じ声なのに悟空は大人になった悟空、悟飯は優し気な青年、悟天は悟空よりもさらに

無邪気な幼児の声。年代と人格を瞬時に演じ分けていて野沢雅子すげーってなりました。

 


ざっくりとドラゴンボールのあらすじを息子1に話していて

「そこでドラゴンボールがやっと7つ集まって神龍が出てきたんだけど、豚のウーロンがパンツくれ!って言っちゃってねぇ。」

「なんでパンツほしかったの?」

「え?」

「パンツ持ってなかったの?(汚れない瞳)」

 

そのほかにも亀仙人とブルマのおなじみのパフパフシーン、鼻血を出している亀仙人を見て

「なんで鼻血出ちゃったの(汚れない瞳)?」という感じで…息子がホワイトすぎる。
女性キャラ(主にブルマ)も自ら色仕掛けのためにパンツや胸を見せる、

というお決まりのギャグもいっぱい出てくるんですよね、ドラゴンボールは

それが悟空には全然通じない、というのがパターンで。
旦那はドラゴンボール育ちなので、自分が子供のころこういったスケベネタをどう受け止めていたのか

聞いたのですが覚えてないとのことです。


鬼滅の刃がこれだけヒットしたのも首や腕はバンバン飛んでもエロス要素が一切ないからというのが大きいそうです。

女性キャラは豊満ボディだけどせいぜい善逸が頬を赤らめるくらいでほとんどの男性キャラは目にも留めていません。
鬼殺隊なんて日々命をかけているならそっちの方も血気盛んになりそうなものですが、そういった要素が全然ないので、

遊郭を舞台にしたシリーズさえ安心して子供と一緒に観られました。

昨今はいわゆる「ホワイト化社会」。人種差別、貧困差別、女性差別、容姿批判、ほんの10年くらい前はテレビで

当然にように扱われていたのがここ数年で急激に「笑えない」ものになりました。松本人志のすべらない話の殿堂入りで、

次長課長河本の「姉がレズです。」ていうネタがあったのがもう信じられない

(その後河本自体も笑えない人になってしまいましたが)。

「笑い」が一番大衆共通の空気とか潮流を汲みやすいんでしょうね。

 


次に波及してきたのが漫画やアニメ。

ドラえもんは発達障碍児への暴力だし、クレヨンしんちゃんは女性が独身だったり年を取っていることを貶すし、

ちびまる子ちゃんは貧困差別がありますね。
Twitterではポケモンの主題歌の歌詞「あの子のスカートの中」の何がいけないのかを自分の子供に滔々と

語って聞かせるお母さんのツイートがバズったり、鳥山明(また出た)が昔描いた、ある女性声優の方のスカートを

めくっているイラストがフェミに掘り起こされて燃え上っていました。
わかる。私も男児の母だから、そういうの子供に見せることにすごく違和感あるし、なんか男子ってみんなスケベよね、

みたいな前提の話が通じなくなっているのはわかるんです。
今ゴールデンタイムに『パンツの穴』とか放映されたら絶対見せませんからね。(私はあれで性に目覚めました)
価値観が変わった、あらゆることにおいて。
でもコンビニから工口本をなくして見えなくしたからって、動画やコンテンツはけしてなくならないわけで。

人間がスケベじゃなくなったら、恋も青春もはたまたリビドーから生まれる芸術作品も、なくなるんじゃないですかね。

 

でも人はそう簡単に数十年で綺麗になんてなりません。

心配なのは、子供が鳥山明的な「スケベ」を通り越していきなりドギツいコンテンツに飛んでしまう方が

今のメディア社会では現実的にあり得るような気がするんですよね。

男の子も女の子も、クリーンな環境で無菌状態で育ってからのいきなりの大人ワールド。相当な衝撃だと思いますよ。

私の子供のころは、本屋には大人向けコーナーがあり、道には変な本が落ちていて、

テレビではスカートめくったりPORORIしたり、「大人になるとこういうことがあるんだな」と

心構えができたといえばできていました。
親がずーっと目隠しをしてあげられるならいいですが、そういうわけにはいきません。

 

 

あとおやっと思ったのが、のだめカンタービレの作者の方が、作中で女たらし的なおじさんがのだめの

胸をつかんでいるというカットを新装版で肩を抱くのに描きかえたという話題。

 

これはまさに「ホワイト」で修正したわけです。

ご本人曰く、自分で恥ずかしくなったのでという理由だそうです。

どこかから突っこまれるから先手を打った、というわけでもなく自分のためとのことですが、

私は表現者として作品を世に出してしまったのなら絶対そのままでよかったと思います。

その時の感覚で、それで笑ってくれた読者だっていたわけですから。
フェルメールが「いや!こんな女性にばかり家事させてる絵はあかん!」っつって生きてる間に

牛乳を注ぐ女と一緒にじゃがいもの皮をむく男に描き替えたらどうですか。

せっかくの時代の空気がわかんなくなるでしょ。
アートにしてもなんにしても普遍的に受け入れられるものばかりが名作ってことはないんです。

今の時代に照らし合わせたら無しだな〜っていうくらいの方が、歴史的価値は高いと断言します。

私は建造物でも評価は低い、バブル丸出しのビルとかクソダサいデザインの小物とか好きですし。

だからのだめの人も責められるのは覚悟で「今は恥ずかしいと思っていますが、このままでいかしていただきます」

言ってほしかったです。

 


まあそんな感じで、他人を傷つけたり貶めたりするような要素は論外ですが、文化くらいところどころグレーを残して

おきましょうよ、というのが私の意見です。落語じゃないですけど業の肯定ってやつです。

寛容な社会を目指すのなら人間の業にも寛容にならなくちゃ。

 

しかしもしかしたら鳥山明も現代の感覚に塗り替えられているのかなと思って結構最近の

劇場版ドラゴンボールを観ていたら、亀仙人がブルマの誕生日パーティーのビンゴの景品で

「HなDVDはないかの?」って言っていてブレねぇぇ!と思いました。

ビデオからわざわざDVDと言い換えてまでスケベを貫く覚悟〜〜!!
鳥山明、何と言われてももうこのまま行ってしまってくれ。スケベを後世に残すのだ。

夜の楽しみであるドキュメンタリー視聴。
ロマンス詐欺?にまつわる衝撃的な2作品を観ました。

ドキュランドへようこそ「真実の愛を探して エジプトへ向かうシニア女性たち」

裕福な欧米人女性、それも70オーバーくらいのおばあちゃんと、30そこそこのエジプト人男性が
「ビジネス結婚」をするのが流行っているらしいんですよ。
そんなフルーツサンドが流行ってるみたいな感じで言うのもなんなんですが、それを複数のカップルを
通して描いたのが上記のドキュメンタリー。
離婚したりなんだり、自分の国に疲れてエジプトを訪れ、息子ほど年の離れた現地の男性と結婚した
女性たちは恋する乙女みたいな顔になって
シワが2、3本消えるくらい幸せそうなんですが、やはりそこはビジネス。
番組構成は残酷で、高齢欧米女性と、エジプト人男性へのインタビューを交互に映し出します。
彼との間には本物の恋があるわと言う女性に対し、エジプト人男性はお金のためだと割り切っています。
でもちゃんと結婚の契約もしているし(エジプト人女性とも結婚して子供もいるけど)、
イチャイチャしたり褒めてくれたりと仕事はちゃんとやっている。
向こうは貧しくて一生みじめな生活をして終わってしまうみたいなことがあるため、
そうやってお金を出してくれる女性をつかまえて一発逆転を狙うということがあるみたいです。

番組には複数のカップルが出てきますが、男の名前はみんなモハマッド。
モハマッド多いですからね。結局やっぱりなんか違うなと目が覚める女性もいれば、

開き直って(?)この関係を続けるという人も。
もやもやを残したまま終わるんですが、画面に出てきた英語の原題がセンス良すぎました。


マイ モハマッド イズ ディファレント
わたしの モハマッド(だけ)は違う
モハマッド多いことをもじった秀逸なタイトル…。

もうひとつはつい先日NHK BS-1でやっていた『全告白!国際ロマンス詐欺』というやつ。
なんと現役レディコミ作家井出智香恵さんご本人が登場し、自身が陥った国際ロマンス詐欺の
全貌を語るという内容。


被害額は7500万。騙された相手はハリウッド俳優のマーク・ラファロ(を名乗る人)。
マーク・ラファロといえば私はエターナルサンシャインの黒縁眼鏡の若者を思い出すんですが

もう彼も50代なんですね。井出さんは70代で、離婚してお子さん3人。
レディコミの大家としてバリバリ仕事をこなしながらも、もともとファンだったマークラファロが
SNSで近づいてきたことで罠にハマってしまったそうです。
もちろん最初は信じてなかったそうなんですが、昨今のフェイク動画などを使った巧妙な
手口で、結婚と大金をちらつかされ、気が付けば全財産を失って借金まで背負ってしまったそうです。
しかも事件は継続中!洗脳が解けた井出さんはまだ騙されているふりをして復讐をしようとしているとか。
さすがレディコミの女王や…
これを観ると、エジプトのビジネス結婚なんてまだ良心的に思えてきますよ。
だってちゃんと結婚してるもんね。
井出さんは元夫がひどいDV夫だったらしく、お子さんたちも苦労してきたお母さんが
幸せになってくれるなら…とお金を貸したりしてしまったらしい。
井出さんがマークラファロ(を名乗る人)と自分の姿をイラストにしていたんですが、
とてもご本人とは似ても似つかない若い美女と、マークラファロどころか王子様みたい
に描かれていまして…
マークラファロに求愛されてどう思いましたか?というインタビューに(ひどい質問)
「“やっと”私にもこういうことが起きたんだ。こういうことが起きてもいいんじゃないかと思った」
とおっしゃられ。
やっと順番が回ってきた。
いくつになってもこういう気持ちってあるんでしょう。
他人事ではありません。

私はもう芸能人すら胸をときめかすということがとんとなくて、韓国グループとかに
夢中になれる私と同年代やそれ以上の人を見るとすごいなと思うばかりです。
今は旦那も息子もいるし、別に必要としていないけど、旦那とは子供たちが
巣立ったらどうなるかわからんし、ロマンス詐欺には気を付けたいと思います。


結構本当によくある話なんですよ、ロマンス詐欺は。
育休時代毎日ヒルナンデス観てたんですけど、出張不用品買取かなんかでご高齢の
未亡人のマンションにお邪魔してまして。
すごい高級な調度品やなんかを全部買い取ってほしいって言うのでどうしたんですかと
聞いたら「名前を聞いたら誰でも知っているあるハリウッドスターと結婚するので
その資金にしたい」と。
なんか空気変わったぞ…
でもその後なんのフォローもなくてスタジオの芸能人もみんな聞こえなかったふりしていて
非常に気になりましたね。不用品買取なんてしてる場合じゃなくて警察に通報ですよ。

ただの詐欺じゃなくてロマンスを語ってますから、心までズタズタにするのが

許せないですよね。世間知らずで純粋な人ほど陥りやすい。

身近な女性が「ハリウッドスター」と言い出したら注意しましょう。

遅れてきた鬼滅ブームです。

本当に世の中が鬼滅一色だった2020年には、息子がまだ怖くて観ることができず、

私もテレビアニメをとりあえず観ておくかってくらいでした。
今年になってようやく息子が恐怖を克服したので、一緒になって観ています。

思い出してみると、3年くらい前でしょうか。アニメもはじまっておらず、

本当に連載中の漫画ファンくらいしかいなかったころ、会社で最新刊が発売になり

むちゃくちゃ混雑しちゃって列整理に行ったりしていました。
「なんかキメツノヤイバっていう漫画がすごい人気なんだって」
「へー聞いたことないですね」
なんて言っていたんですが、あれよあれよといううちに大変なことになってしまいましたね。

そこまでどっぷりハマっているわけではないんですが、どのキャラクターが好きかというと、ダントツで伊之助です。


イノシシに育てられ、野生爆弾のような伊之助。俺様が一番!という絶対王者気質で単細胞、

でも素直でピュアなところが好きです。
これもなんでかなというと、私の好きな漫画男性キャラの系譜なんですね。
たとえば手塚治虫の名作『ブッダ』に出てくるタッタというキャラクター。


シッダルタの少年期からの親友で、最下層の奴隷であり親を殺され動物と一緒に育ち、

動物に乗り移ることができるというすごいやつです。
シッダルタが出家してからも、常にそばにいてよき相棒という存在なのですが最後まで

「ブッダの教えが通じなかった」重要なキャラクターでもあります。
(信仰をもってしても親を殺された恨みを忘れることができなかった)

 


こんなに昔から一緒にいても、信仰が通用しないという点で、タッタは人間の本能や業の深さを表しています。
手塚治虫の創作キャラなので、あえて付け加えたことで『ブッダ』という作品テーマにはなくてはならないキャラクターです。
動物と交信ができるという能力も、シッダルタにはマネできないことでしたし、

ミゲーラという同じ奴隷の妻に一途なところもいい。
シッダルタが炭治郎っぽいので、よりタッタが伊之助に見えてきます。

もう一人はこれまた私の最愛漫画の一つ『柔道部物語』に出てくる鷲尾先輩というキャラクター。

主人公三五十五のひとつ上の学年の先輩なんですが、体もでかいし態度もでかい。

自信の塊、まさに猪突猛進タイプ。でも詰めが甘くて、実力がありながらいつも空回り。

そこまで活躍できない面もあります。
柔道部物語には最大のライバルにしてモンスター、西野っていうサイコパス野郎(ほめてます)が

出てくるのですが、そいつがもう桁違いに強いので鷲尾先輩ですら全然歯が立たず、

はじめて対戦したときにその自信がどんどん崩されていくのです。もう周りの部員も諦めている。

こいつはもうヤバイやつだと。普通のお山の大将だったら、自信もプライドもズタズタにされて

再起不能になると思いますよ。でも鷲尾先輩は最後までけっして逃げない。

自分の柔道スタイルを曲げない。

 

それで結局二回りくらい小さい相手に、完膚なきまでに叩きのめされるんですけどね。

それでも鷲尾先輩の本質は変わらないんですよ。ずーっと俺様。
伊之助も山の王から鬼殺隊員になって、強い鬼とか柱に出会って自分の未熟さを思い知らされる

場面も何度もありますが、でもまたしばらくすると「俺はすげーんだぜ!」に戻ってる。

そういうところが鷲尾先輩だし、本当にすばらしいなと思います。

そういや柔道部物語の三五も、炭治郎に似てるなぁ。

とするとラスボスでクソサディスト(ほめてます)の西野は無惨だろうか。

ちなみに、漫画の中ではこういうキャラが好きですが、現実では大変そうなので

付き合いたいとは思いません。

 


中学受験が大変なことになっているそうですね。
今クールはじまったドラマ、『二月の勝者』が小学生のお子さんを持つ社員の間で話題になっていて、私ももれなく観ています。
こちらは漫画が原作でかなり面白いらしいのですが、ドラマは時間が限られているのでもっとサクッとした感じです。
でもそこはドラマの力で、実際子役が演じていると受験を頑張る子供たちがみんな健気で泣けてくる。だって本来「がんばらなくていいこと」をあえてがんばってる子たちなんですよ。
受験ていろいろ段階あって、小さければ小さいほど能力の差なんて親がどれだけ訓練したかでしかなくて、幼稚園や小学校はほとんど「親の受験」。
高校や大学は本人の受験。では中学はというと、これが微妙なところで、親の影響がほとんどなんだけど、それを子供が自分の意志であるという風に巧妙に信じ込まされている、というものじゃないでしょうか。
小学6年生。この頃の子供は親がいうことを聞かせられる最後の段階でしょう。
とくに男の子はラストチャンスでしょうね。
最近の早期教育の過熱ぶりを見ても、将来が不安すぎてとにかく早く早く勝ち馬に乗せてしまおうという傾向なのかもしれません。
公立を愛し、公立に愛されてきた私からすると本当に違和感がある。
でもたぶんこのままいくと、子供をなんらかの形で中受に向かわせる可能性がなきにしもあらずなのです。
住んでいるのが都会でなければ、こんな葛藤は生まれなかったと思うのですが(ご存知、地方では私立は勉強しない子が行くところ)…。

同じく中学受験を題材にした注目の小説『翼の翼』を読みました。

軽い気持ちで中学受験に足を踏み入れたごく普通の家庭の専業主婦が、なまじっか息子が優秀だったばっかりにどんどん深みにハマって、狂っていく話です。
ママ友とのマウントしたり謙遜したりと忙しい会話とか、夫の変貌ぶりとか私の大好きな桐野夏生先生の『ハピネス』にも雰囲気が似ているんですが、冷笑的な視点がない分身につまされるというか、非常にリアルに胸が苦しくなってくる話でした。
最初塾に入った頃はぐんぐん成績が伸びて、神童かと思われた男の子が学年を追うごとに落ちていくんですよ。でも親の期待はそれに反比例して上がっていく一方。これはもうギャンブルなんですよね。成績が上り調子だったときも、下がってきてしまったときも、いいときもわるいときも親や祖父母の態度が非常に不愉快。その子がすごく素直でいい子なだけにもうやめたげてー!と言いたくなる。一番胸がえぐられたのは、クラス判定がされる大事な塾のテストのあと、その子が自己採点で点数を盛って出来たと嘘をついたところ。それを信じた両親は喜んで褒めてくれる。でもそんなのただの嘘ですから、数日後には必ずバレるんです。案の定ボロボロの結果がわかる。そんなことは本人もわかっているのに、ほんの数日間だけでもいいから、親を喜ばせて笑顔を見たかった、子供のいじらしさに涙が出ました。
そんなことまでわが子にさせる両親にすげえ腹が立ちました。でもその不快感、同族嫌悪なんですね。自分にも覚えがあるし、こうならないという自信がないですもん。本当にこわいな、私には無理じゃないかなと思ってしまいました。

『二月の勝者』って言いますけど、じゃあ「敗者」って誰なのってことなんですよね。中学受験に挑戦せず、普通に公立に行く子たち?第一志望校に受からなかった子たち?
子供にはその子なりに「がんばるとき」って必ずあると思うんですよ。それは大人になってからかもしれない。親のタイミングですごく早い時期にがんばらせてしまうことは、どうなのかなと思ってしまいますね。
しかしこれだけ大学の学費すら出せないかもしれないくらい、親世代が貧しくなっているのに、中学受験が過熱の一途というのはおもしろい傾向ですね。
二月の勝者の中でも、受験をやめてサッカーの強豪校に!という親に対して塾講師が「凡人こそ受験すべき」と説いていましたけど。

我が家がどうするかどうかは置いておいて、興味をもって観察していきたいと思います。

続きまして二冊目です。

 

『母が重くてたまらない』や毒親、DVについての著作が有名な

臨床心理士の信田さよ子さんの出したはじめての子育て本です。

私はフェミニストと呼ばれる女性作家や研究者はほとんどみんな苦手なんですが

信田さんだけは好きです。

 

その信田さんの子育て本!と期待しましたが、まあ、内容としてはいつもと変わらんくて

毎回出てくる信田さんのクライアントのエピソード多め。

世代間連鎖のこととか、孫を持ってしまった毒母のくだりが面白かったなあ。

ばぁばは孫を通して永遠の命を手に入れようとする、とか。

 

でも心に留めておきたいくだりもいくつかありました。

 

・すべての感情はOK

臨床心理士の先生にそう言われると非常に心強い。

というのはやっぱり、自分の子供に対してイラついたり、憎たらしく見えたりすること

たまにはあると思うんですよ。でもそういう感情を抱いてはいけない、と思いがちなんですが

湧き出てくるすべての感情はOKなんだと思うとすごく気が楽。

 

・怒ってしまってもフォローすればOK

怒ってはいけない、叱ってはいけない、自尊心を傷つけてはいけない、自己肯定感云々…

ここ10年くらいの子育てはそればっかで、母親たちは日々怒るまい、叱るまい、今日こそは

菩薩のようにと思って我慢に我慢を重ね、それが最後の一押しでブッチーン!とキレて

子供にはなんだお茶こぼしただけでヒステリックなと思われてしまうと。

毎日そんなんの繰り返しで、怒ってしまうたびに積み重ねてきたものが台無しでまた

一から信頼関係の構築だ…となってしまうと思うんですよ。

でも信田さんがこう言ってるので大丈夫です。

「怒ってしまってもフォローすればオケ」

「取り返しのつかないことはない」

ありがたいですねぇ。私も息子に対してブチ切れることは2日に一回くらいありますが

そのたびに謝っています。もう頭が冷えたらアズスーンアズ謝っています。

夫婦げんかもそうで、夫婦げんかを見せると子供の脳が委縮する、とかいいますが

私と旦那のちょっと語気が強めの言い合い(まあほとんど私が一方的に旦那に小言を

言われているだけ)でも「りこんしないで!!」と息子に泣きつかれてしまうので

見せないのは結構難しいです。

信田さん曰く夫婦喧嘩を見せてしまったときは仲直りしたことを知らせるといいそうです。

 

子供にとっては親がイライラしてたりケンカしたりすることよりも、その間のグラデーションを

見せないことの方が不安感を持つそうです。

さっきキレてたかと思ったら、まるで何事もなかったかのようにニコニコ優しくなったり、

あんなに口汚く罵りあってたのに、次の日にはウフフアハハと笑い合ってる、とか。

 

まあ人間臭くていいじゃないですか、親だって。

子育て本というよりは信田本という感じで少し物足りなかったですかねぇ。

 

でも、次の三冊目に出会った本に、すっかり洗礼を受けてしまうのです。