SNSの発達によって現在、出版業界は育児漫画百花繚乱です。

 

 

出産を機にインスタやtwitter、ブログでイラスト、4コマなど

育児漫画を記録する人が増え、それが同じ育児中のママたちの間でヒット。

ママ向けキュレーションサイトで連載コラムをするようになったり

次々と出版される運びになっています。

本屋の育児本コーナーに行くと帯に「インスタフォロワー〇万人!」

「twitterで大人気!」などの文字が躍っています。

 

私も特に育休中のときは暇だし子供中心の生活なので、こういった

育児漫画をSNSで読み漁りました。よく読んでいた人はやっぱりその後

人気が出て本が出るまでになっています。

元々イラストやマンガ関係の仕事をしていた人もいれば、絵は全くの素人という

人もいますが、私の好きな傾向としては絵は上手さよりも味やクセ。

お話も「うちの子カワイーでしょ」「子育てってほんとにシアワセ☆」という

類ではなく、ちょっとシニカルだったり子供のおかしさとか不思議さ、

あと母親になったことへの戸惑いや自虐がほどよく入っているものが好きです。

ヒットしているものはそういうのが多いと思います。

ほんとに赤ちゃんを育てながら時間を工面して、毎日のようにイラストや

漫画をアップするそのマメさには脱帽ですし、これだけ面白いものを

描ける人たちが今まで特に目立ちもせず埋もれていたことにびっくりです。

見ていると特に開花するのは、元々プロっぽい人よりも趣味で描いていた

くらいの素人っぽい人。

ポテンシャルを持っていた素人が、「出産・育児・子育て」という

最高のネタを得て一気に目覚めたという感じ。

 

 

一方で育児漫画ってすっごい一瞬の輝きというか、母親というのは現金なもので

自分の子供と同じころの漫画にしか興味ないんですよね。

すでに私も0〜2歳の子を描いた漫画は「懐かしいな〜あるある」とは

思いますが積極的に読もうとは思わなくなっています。

好きな作者の人のでも、自分に第二子がいないので第二子の話には関心がないです。

さらに、子供が大体みんな一緒なのはせいぜい未就学の頃までで

段々とその子自体の性格や能力に差がついてきます。

赤ちゃんの頃は女の子でも男の子でもやること一緒ですが、年少になるころには

男女ではっきり差がつきますし、大体3グループくらいに分かれるといいます。

「いい子」「悪い子」「普通の子」

あくまで表層的な分類ですけど、やんちゃで手のかかる子の

親は大人しすぎて逆に心配の子の話は参考にならないし共感もしません。

さらに小学校になると歴然と「能力の差」が出てくると思うんですよね。

そうなってくるともうこれまでみたいなたくさんの共感は得られなくなってきます。

育児漫画の寿命は短いのです。

さすがにいつまでも自分の子が赤ちゃんの頃を思い出して描き続けるわけには

いきませんから、だんだんとネタも需要も尽きてくるのです。

 

せっかくこんなにかわいい絵やおもしろいお話が描ける人たちが。

そこで私の提案です。子供が大きくなって描くことがなくなったら

ぜひ「介護漫画」に移行してほしい!

今40前後の育児漫画家があと10年以内には介護問題が身近になってきます。

老人たちも赤ちゃんに比べれば個体差はありますが、「老人あるある」というのが

あるはずです。

「こうすればゆるいウンチも漏れない!」みたいなお役立ちネタも育児漫画には

ありますけど、「こうすれば義父のオムツも替えやすい!」みたいに

置き換えられます。

さらに育児と介護に共通しているのは「つらみ」というところです。

育児漫画もなぜたくさんの共感を得るかというとやはり「つらいこともいっぱいある」

からなのです。

辛さの共有。

介護にもそれが言えます。さらに得意のデフォルメで老人たちを面白可愛く描けば

いいのです。

そうすると子供のいる人だけではなくほぼすべての人がターゲットになるわけですから

市場は何倍にもなります。

私も読みます。

 

 

最後にもう一点。

最近すごく増えている「ネットから火が付いた」ものをすぐに出版したりプロの世界に

引き込もうとすること。つまりギャランティーを発生させることに、複雑な気持ちもあります。

というのは、大好きだった素人がお金をもらうようになって面白くなったことが

ほとんどないからです。

人間、お金をもらう前と後で同じことをやり続けることは難しいのです。

個人のブログでやってた頃はおもしろかったのに、コラム連載になってから内容

薄くなったなーということは多々あります。

かといっていいものをタダに近い形で提供し続けろというオリエンタルランドみたいな

発想はよくないのですが。報酬はあげたいけど、あげるとつまらなくなってしまう皮肉。

あと実際にネット出身の出版物を手にしてみたときに感じる独特の

「これ以上でもこれ以下でもない」感がありますね。

私も興味につられて何冊か手にしましたが、どれもあっという間に読めてすぐ売りたくなる。

面白くないわけではないのですが、ネットの中にあったものはネットの中にあった方が

いいという感想です。

ネットの中に留まらないものを作ってた人がネットで周知されるというのならいいのでしょうが。

そして何より「本物を作り出す」ことよりも手っ取り早く売れるネット畑のものを

使い捨てていこうとする出版業界が一番イラっとしますね。

 

 

 

子供が3歳になり、いわゆる子供向けアニメをずいぶんよく

観るようになりました。

2歳の頃からDVDでディズニー映画なども観ていましたが、

3歳になるとかえって観たがらなくなりました。

同じくらいの子が好きなミニオンズやトイストーリーもダメ。

大抵映画って怖いシーンがあるじゃないですか。

ずっと平和ではつまんないからちょっと敵が出てきたり

追いかけられたリとかその程度ですが、息子はそれがイヤみたい。

ドラえもんもテレビシリーズは観られるけど映画はダメでした。

親の方もドラえもんの口から発せられる甲高い声や、ちらつく

星野源などがストレスです。

今の声優さんには悪いですが、やっぱりドラえもんはミラクルひかるさん

とかにのぶ代ドラのモノマネをしてもらって続ける、ルパンスタイルが

よかったんじゃないかと思います。

 

電車が好きなのでトーマスはもちろん観ますけど、世界観は好きみたいですが

お話に夢中になるほどではないみたいです。

とにかくトーマスは揉め事・パワハラ・足の引っ張り合い・いじめなど

陰惨な話ばかりで、もう顔のついた機関車に鉄道を任せるのやめたら

いいのにと思うばかりです。

同じく顔のついた鉄道の話ではチャギントンがありますが、こっちの方は

なんか害がない感じ。平和っちゃ平和ですがちょっと物足りないようです。

あとフジテレビ臭が強い。

 

そこで最近一気に頭角を現し、息子が夢中になっているアニメがあるのです。

それは「おさるのジョージ」。

テレビで興味を示していたのでGEOでDVD借りてきたら、4話くらい入ったのを

1日3クールは繰り返しています。

ハァハァ言いながらすごい集中力です。セリフや内容もよく覚えている。

私もはじめてしっかりおさるのジョージを観たんですけど、これは数あるアニメの

中でも子供にみせたいナンバー1だと思いました。

特に男の子におすすめです。

おさるのジョージってのはNYが舞台で、なぜか高層マンションに子猿と全身黄色の

おじさんが仲良く暮らしている話です。

ロボットが出てくるとか魔法を使えるとか電車が顔とか突拍子もない設定は一切なくて

普通の日常の世界です。

ただ猿と黄色いおじさんが生活してるだけ。

でも毎回ジョージがなんかしらやらかします。それはもうしっちゃかめっちゃかになります。

ところがやらかした後のリカバリがすごいんです。猿ですから5歳くらいの知能なんでしょうか。

とにかくジョージが知恵やアイデアをしぼってなんとかするんです。

それがリカバリ前とは若干違った着地をするところもまた面白い。

ジョージのソリューションも、名探偵コナンみたいに偶然とかありえない方法ではなくて

リアルにあ〜なるほどと思えることばかりなんですよね。

これはめちゃくちゃ教育にいいですね。

何かをやらかすことはけして悪いことではないわけです。

好奇心、探求心からくるものですから。

そして自分の力でなんとかしようとする工夫力が育ちますね。

ろくでもないことばかりやらかすジョージ。

 

 

保育園でも男の子はみんなおさるのジョージが好きみたい。

好奇心が旺盛で向こう見ずな男児は、毎日悪気なく何かをやらかしてるわけですから

ジョージに対する共感がヤバイんだと思います。

現実とは違うのが、何をやってもジョージは怒られないのです。

ジョージと一緒に住んでいる黄色い帽子のおじさんて人が、徹頭徹尾怒らない人なのです。

何をやっても苦笑いして「オゥジョージ」。寛大の極みです。

ジョージが部屋中生ごみだらけにしても「また派手にやらかしたなぁ」です。

でも甘やかしているわけではなくて「ちゃんとあとで片づけておけよ〜」と付け加えるのです。

なにこれ最高の保護者。

所詮猿だからってことがあるのかもしれませんが、それにしたってめちゃくちゃ見習いたい。

もう心の中に黄色い帽子のおじさんを住まわせたい。

ジョージがやることのスケールに比べたら、子供の食べこぼしだの泥遊びだのなんて

上品なものです。もう今度からどんなことがあっても「また派手にやらかしたなぁ」で

終わらせたいと思います。

普段子供についつい怒ってしまう身としては、どこまでも寛大なおじさんを見てると

「もう怒ってくれよ、お願いだから怒ってくれよ!!うわぁぁぁぁん!」って気持ちになりますけどね。

 

子育てと、子供との距離感てこれくらいでいいんじゃないかなって思わせられますね。

ジョージとおじさんは信頼しあって仲良しですが、課題の分離ができています。

特にお母さんは子供のやったことは自分のミス!と思ってしまいがちですが

いい具合に「他人ごと」なんですね。

 

おさるのジョージは子供に積極的に観せよう、子供が飽きても私はずっと観たいと

思える神アニメです。絵柄も変にCGになったりせずにこれくらいのままいて

ほしいなぁ。

黄色いおじさんになるにはまずはこちら。

 

 

岡崎京子の『リバーズ・エッジ』が映画化です。

二階堂ふみや吉沢亮などといった今旬の具材を使っていますが

ところどころCHARAの娘SUMIREをちょい出ししてみたり

なんといっても小沢健二による映画テーマ曲を使ったりと

90年代の味付けも忘れていません。

 

でも、もう忘れていいと思います、90年代の味付け。

古いものは古いままでちゃんと新しいから、無理にインスタ映え

メニューにリニューアルしなくていいです。

岡崎京子さんの漫画は当時、ちょっとサブカルかじってるなら

読んでおかないと!ということで一通り読みましたが、全部

ブックオフです。ブックオフで揃わない岡崎京子はないでしょう。

それくらいやっぱり、合わない人は合わないマンガでした。

都会的過ぎたんですね私には。夜の繁華街で叫び笑いながら泣いたり

する感覚は私にはなかったようです。

 

 

それで小沢健二の新曲『アルペジオ』を聴いてみたんですけどね。

これはなかなか、気取りのなくなったつかみどころのある曲だなと

思いました。メロディも何度も聴きたくなる明るくてちょっと切ない感じです。

意外だなと思ったのは、フリッパーズギターやウキウキ期のオザケンの

持つ「オシャレでアーバンだけどほんとのことは何も言えてなくて空虚」

っていう感じの方が『リバーズ・エッジ』のテーマには合っている気がするんですけどね。

『アルペジオ』はなんというか、ちょっと丸くなって昔の失敗談とか

酒の席でしてしまうおじさんになったオザケンという感じです。

例えばこんな歌詞です。

 

「消費する僕」と「消費される僕」

このころの僕は弱いから 手を握って 友よ

汚れた川は再生の海へと届く

本当の心は本当の心へと届く

 

空虚な90年代(実際は現在の方がよっぽど空虚なのですが)を駆け抜けた

懐古と一度は失った自信なども感じさせます。

昔だったら青山や麻布で声もかけられない存在だったのに、新小岩で

飲むこともあるんだ??みたいな印象です。

伝わりづらいでしょうか。親しみやすい曲ということです。

ほうほうと思って聴いていると、お得意の「語り」が入ってきました。

また神様がいると思ったりするのかと思いきや、予想外の歌詞が続きました。

 

僕の彼女は君を嫌う

君からのファックス隠す 雑誌記事も捨てる

その彼女は僕の古い友と結婚し子供産み育て離婚したとか聞く

 

ふぁ!?

 

当時のフリッパーズギター界隈を少しでも知っている人なら

あのことかな?とすぐに気がつきますね。

実際どの彼女のことを言っているのかわかりませんが、あの子猫ちゃん、

あの台湾親善大使、あのファンシーフェイスグルービーネーム…?

私は渡辺満里奈以外の、彼らを取り巻いていた女性たちが好きなので

この語り部分を聴いてかなりイラっときました。

 

結局は元カノのことを寝惚けたまま懐かしんでる往生際の悪いおじさんの

歌じゃないですか。

彼らの中では、関わってきた女性たちは若くて綺麗なお人形のまま。

それは裏を返せば、生身の人間としての女性たちを受け止めることが

できなかった(これからもするつもりはない)ということです。

それを後悔している風でもなく、未だに男たちは当時と同じ地平を

歩いているのです。

 

 

それに比べて女たちのたくましいこと。

嶺川貴子はシングルマザーとなり、深津絵里は女優の道をひた進み、

カヒミカリィは出産し会陰マッサージオイルを開発し、

渡辺満里奈は朝の健康番組で尿漏れの話とかしている。

(あれ?渡辺満里奈意外といいかも)

 

会陰が裂けたり、妊娠線ができたり、尿もれもするようになる

女性の人生を受け止める気のない夢見がち中年男の歌ですが

メロディは好きですし、オザケンらしいといえばオザケンらしいです。

 

いやー俺もすっかりダメになったよ、なんて弱音を吐くふりして

まったく精神は若い頃と変わっていない中年男性の言うことは

寝言だと思って聞き流しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

あんなに小馬鹿にしていたインスタグラムというものを

昨年の秋くらいからはじめてみました。

といっても一週間に一回も投稿しないし、そんなにフォローもしていません。

ただやってみて実感したのは明らかにインスタグラムというのは

「今の世界の空気」そのものだということです。

 

 

セカイその1、文章(言葉)がいらない

どんどん言葉というのが価値を持たなくなっていますよね。

それどころか下手に何か発言したり文章にしたりすると、間違いを指摘されたり

揚げ足を取られたり、曲解されたりとロクなことがないということにみんな気づいています。

せいぜい必要なのはキャッチコピーくらいで、あとは写真があればいい。

インスタグラムがバカでもやれるのは言葉が必要ないからです。

盛れてる写真があればあとはタグをつないでいくだけでいいのですから。

 

セカイその2、数がものを言う

中には自分のオリジナルのイラストやなんかをアップしているアカウントも

いますが8割9割はスタバの写真か風景か自撮りです。

そんなものはオリジナルでもなんでもないし誰が撮っても大体同じ。

そうなってくるとつまり、何を投稿するかより誰が投稿するかが大事になってくるのです。

その判断はその人のフォロワー数です。

同じ写真がアップされたらよりフォロワーの多い人にイイネがつくわけです。

 

 

セカイその3、なんかすぐ流行る

これは最近twitterでも見られる傾向ですが、ネガティブなことは言っちゃいけない感じ。

「あれがよかった!なんかわかんないけどすげーよかった!」という全然なんにも言ってない

投稿の方がいろいろ蘊蓄や理屈を並べた批評よりも好感度が高くなるわけです。

私はインターネットというのはそもそも物や人を褒めたりおだてたりする場所どころか

正反対なところだと思っています。

確かにこれがよかったあれがよかったというのは、見ていて悪い気にはなりませんが

有意義なことはあまりありません。

白いごはんっておいしいよねって記事は、私も白いごはんには悪い感情持ってないし

読んで不快にはなりませんが、なぜ『君の名は。』がそこまで評価されるのかわからん、

その理由を自分はこう考えるっていう文章の方が読みたいじゃないですか。

今は物を悪く言うのはダサいという世の中。なんかわからないからとりあえず褒める。

だからインスタグラムでは化粧品やらユニクロの服でもすぐ流行りますよ。

誰も悪いこと書かないからです。

すっごい評価高いけど実際使ってみたらなんじゃこりゃ?ってことがいっぱいあると思います。

批評する方が頭使うからです。

どんな分野でも、面白い悪口を言える人が一番偉いんですけどね。

 

 

こんな感じのインスタグラムの印象です。

私にとってはすごく不気味な世界です。

ただやめようとは思っていませんし、むしろ楽しんでいます。

私の楽しみ方はこうです。

 

・海外や地方に住んでいる人の生活を知る

行ったことのない海外や、ちょっと旅行で訪れた土地に生活する人たちの

日常を掌でリアルタイムに知ることができる、覗き見趣味の自分にはうってつけです。

どうしてもっと早くやらなかったのかと思うくらいです。

旅行に行ったらその土地のハッシュタグで検索し、そこに普段住んでいる普通の人の

アカウントを見つけては無言フォローする気持ち悪さです。

その際、観光地のハッシュタグでは観光客しか引っかからないので、地元の人しか

しらないような店や場所、地元の人にとってはホットな場所(新しくできたモールとか)で

検索するとジモティが引っかかります。

海外でも同じです。

なるべくプロっぽくない素人感のある、それでいて趣味の良さそうなアカウントを探します。

その際やはり観光スポットではなく、旅番組を観ていて目に入った小さいレストランの

ハッシュタグとかで検索します。

アカウントのフォロワーは100人以下と少なすぎると知り合いとしかつながってなくて

警戒されることがあるので、300人前後の人を選びます。

それぐらいだとちょっと自意識も高いので全く知らない人がフォローしてきてもまんざらでも

ないはずです。

 

・生き別れた人を探す

これも上と同じようなストーカー的な使い方ですが、何人かインスタグラムで昔仲良くて

消息不明の人を見つけることができました。

特にびっくりしたのは10歳くらいの時に2年間ほどNZで生活していたとき親友だった

日本人とニュージーランド人のハーフの子。

彼女がかなりのインスタヘビーユーザーですぐ見つかったのですが、現在はタイ人と結婚して

バンコクに住んでいることがわかりました。

当時はちょっとぽっちゃりしていて大人しい子でしたが、見違えるほど派手になっていて

毎晩パーティーやら食べたものをストーリーでアップしています。

もう話しかけることはできません。

 

私みたいな気持ちの悪い使い方をしている人はあんまりいないかもしれませんが、

先日10歳年下の後輩と話をしていたら、彼女たちくらいの世代はフェイスブックも

twitterもおっさんくさくてインスタしかやらないそうなのですが、なんのために

やっているのか聞いたら「知り合いの痛い投稿をウォッチしてる」だそうです。

痛いってのはどんな投稿かと聞いたら「ただの休みの日のくせして A day off とか笑」

などと言っていて、やってること変わらないなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

先月誕生日だったのですが、ダンナからこの本をもらいました。

「東京DEEP案内」が選ぶ 首都圏住みたくない街

逢坂まさよし

 

私は東北で生まれ育ち、学生時代を茨城県つくば市で過ごし、

卒業して東京近郊に拠点を移したときは、創価学会の三色のことすら知らない

おのぼりさんでした。

東京のことをもっと知りたいと思い、たどり着いたのが

「東京DEEP案内」。

そこにはドヤ街や花街、被差別部落、外国人のたまり場など

ネガティブな部分しか書かれていませんが、逆に興味深く

愛読のブログとなりました。

その東京DEEEP案内がついに書籍化!

厚みにして3センチ、写真もいっぱいの永久保存版です。

 

内容は今までの東京DEEP案内を凝縮し、バランスよく

まとめた感じ。

もちろん居住区をマトリックスにし、そこに住まう人種を

分類した「東京タウンマトリックス」も健在。

 

この東京タウンマトリックスは実によくできています。

3年ほど前に家を買おうとしてかなり迷走したときに

東京タウンマトリックスを肌で実感したものです。

当初、日暮里に住んでいたことから谷中や根津の雰囲気に

惹かれ、身の程知らずにも文京区で物件探しをはじめました。

すぐに文京区でまともな家に住むなら最低でも5千万は必要な

現実を知りましたが、そのとき親身になって一緒に探してくれた

不動産やさんが言った言葉を覚えています。

「小奇麗な街は住む人にも高い水準を求めてきますよ」

今でも文京区は大好きですが、そこに住んだら収入や生活レベルが常にカースト

下位でありつづけるわけで辛かったかもしれません。

不動産屋さんは我々の軌道を上手に修正しながらいろいろな場所の

物件を案内してくれました。

実際、予算や通勤のことを考えると東西線沿線などの「妥協ゾーン」に

本当にたどり着いていくのです。

東西線は猛烈な混雑というデメリットがありますが、それは妥協して

移ってきた人口が多いからでしょう。

不動産サイトでマッチングしていると西葛西に行きそうになるのを

グっとこらえて、なんとかもう少し「色」があって自分たちの

レベルにあった場所を求めて行きついたのが今住んでいる千住や

町屋や尾久でした。

 

東京DEEP案内では千住や町屋などはまさにターゲットで、民度の低さや

ダークな過去などあげつらわれていますが、それを含めて私にとっては

「許せる欠点」、あるいは「長所の裏返し」だと思います。

DEEP案内側も、こうした下町については毒づきながらも割と好意的で

あるように感じます。

逆に本当に心の底から侮蔑しているのは勝どき、豊洲、東急沿線など

作られたイメージ戦略の「勘違いゾーン」であり、それらをディスる

ときの痛快さはすばらしいです。

たとえばみんな大好き自由が丘を「荏原郡衾村(えばらぐんふすまむら)」(旧名)とか。

たぶんDEEP案内のテーマは「街を知るならイメージや表向きだけじゃなく

ダークサイドや歴史にも目を向けろ」ということだと思うんですよね。

私の住んでる千住地区も昨今は住みたい街ランキング上位に食い込んで

くるようになり、どんどん若い子育て層が流入してきています。

ただその人たちがこの街を本当に知ったうえで選んでいるかは謎です。

たとえば、同じ保育園のママたちが何人も住んでいる新築マンションの

目の前には関東大震災後に移住してきた「バタヤ部落」の名残があります。

ああこの辺にはそういう歴史と色があるんだな〜とわかって住んでりゃ

いいですが、「なんか汚い古いバラックあるわね。早く取り壊されないかしら」

程度かもしれません。

 

東急沿線や世田谷、横浜などに集まる浮かれポンチ層はそうした歴史や

暗部に目を向けない人たちですからね。

結局この本を読んでどの街を選んだっていいんです。

ただ街の持ついびつさは東京の深遠さであり、いとしさでもあります。

それをわかっているのとわかってないのじゃ全然違うということです。

 

自分の街の「欠点」を知り、その欠点もいとしく思えるようになればいいですね。

 

 

 

 

 

“のん”が出ているLINEのCMに使われているキリンジの『エイリアンズ』が

若い人たちに再び注目されているようですね。

たしかに『エイリアンズ』はものすごくいい曲ですからね。

それでなくても最近90年代から2000年初頭のJポップを

CMに起用しているの多くないでしょうか。

なんか女子高生が無人駅でチャラを大声で歌ってるのとか、

お父さんがでかい車買って急にサーフィンはじめる後ろで

流れてるスピッツとか、吉田羊と女の子がポカリ飲みながら

小沢健二とか。

CM制作側の決定権のあるレベルの人たちが、我々世代だという

こともありますが一つ言えることは新しく生まれる曲にはもう力がないんですよ。

ぜんぜんぜんせかいを〜とか逃げ恥の曲とか、耳馴染みのいい

のはマーケティングとサンプリングとレンダリングによって

生まれてはくるけど、奇跡はもうおきない。

奇跡をもってるのは昔の曲だけなんですよ。

 

 

そんな中、昭和の生んだ奇跡の人、オザケンが新曲を発表しましたね。

とっきにぃ〜〜♪とサビのどんどん上がっていくイントネーションが

津軽弁を思わせるあの曲です。

ついにオザケンが沈黙をやぶって、カサカサに乾いた懐メロ主義の

アラフォーハートに注水にやってきたとか、星野源を倒すために

復活したとかいろいろ言われていますね。

私も期待をこめて聴いてみましたが、正直いまいちでした。

すごくオザケンらしくはあるんですが、誰もが想像できるオザケンらしさ。

私はオザケン神隠しの前に発表された『ある光』の延長線上にあるような

もしかしたら「誰も想像できなかった新しいジャンルの曲」であってほしかったです。

『流動体について』は、アルバム『刹那』に入っていてもおかしくないです。

もちろん『刹那』の曲はどれも大好きですが、なんだあの続きじゃんって感じがして

しまいました。

もしくは徹底的にオザケン is coming back!と思えるようないっそ『LIFE』に

逆戻りするほどのノリノリの極みのポップソングをぶちかましてくれたほうが

かえってよかったかもしれない。

 

歌詞についても、「神」だとか「宇宙」だとかオザケンを象徴する記号は

並んでいるのですが、それもどんどん村上春樹の新刊が自分で自分の

モノマネしてるとしか思えないタイトルになっている現象に近いと思いました。

私は常々オザケンの歌詞の知的さというのは、小難しいフレーズの中ではなくて

小学生の詩みたいにシンプルにハっとさせられるところだったり、

柴田元幸仕込みの英語のフレーズに表れていると思っていました。

特に曲中の合いの手によく使われていた英語のフレーズは、これって本当に

生まれ持ってのセンスがなければ出てこない言い回しなんだろうなと思ったものです。

『流動体について』は、オザケンが帰ってきた!と喜ぶには足りるんですけど、

彼ほどの人ならこのルーティン化した音楽業界をひっくり返すような新曲を披露してほしかったです。

 

 

一方オザケンの再来と巷で言われている星野源は、お友達にも好きな人がいっぱい

いるんで恐縮ですが、控えめに言って大嫌いです。

オザケンが好きだった層が星野源に流れていると言いますが、恐らくそういう方たちは

当時もオザケンの王子様っぽさとか見た目の可愛さとかスペックの高さとかに夢中になっていた

だけなのではないでしょうか。

当時オザケン聴いていた男性ファンは今星野源聴いていないのが一つの証拠です。

 

 

そして話は最初に戻りますけど、洋楽にはまだ「あーこれは本当にスタンダードとして

残っていく曲だなぁ」と思えるものが出てくるのに、Jポップにはもうそういう

可能性を感じない36歳のOLです。

ヒットチャートに上がってくるのには、全部裏で働く上層部の力を感じてしまうのです。

サチモスも横浜の商工会議所が会議してハマっ子集めて作ったフェイクバンドじゃないんですか?

 

こんな風に感じるのは私の脳みそがカピカピのアラフォー懐古主義だからかも

しれませんが、同じことをまだ20代の妹も言っていました。

妹は20代だけど、音楽はもう昔の曲か、昔から活躍している人の曲しかいいのは

ないと言っています。

ただ、鬼龍院翔だけはがんばっているそうです。

もう見込みがあるのは鬼龍院翔だけかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

先日『ノンストップ!』を観ていたら、婦人公論の

編集長、三木哲夫さんがおもしろいことを言っていました。

 

「おばさんの一番の『あがり』は自分の娘が子供(孫)を産むこと」

 

が、今のご婦人方のトレンドなんだそうですよ。

もともと赤の他人である嫁が産んだ孫より、自分の娘が産んだ

孫の方が可愛いし、可愛がりやすいというのはよく言われていました。

けど『あがり』とまでされているとはびっくりです。

女性は一般的に結婚・出産(二人以上)してしまえばもうあとは

世間からとやかく言われないで済むだろうと思いましょうが、

最後に集大成となる「とやかく」が待っていたのです。

それは孫。

お前とこ孫はまだか。まだ経験したことはありませんが、孫ができて

はじめて人生が完成すると心得よ。孫の多いおばさんがおばさんの

ヒエラルキーのトップに君臨していたのです。

 

まだそこまではわかりますね。うちの義両親も兄弟姉妹の中で

一番最後に孫ができたもので、その安堵感たるや人一倍だったようです。

でも義両親はもう結構高齢なので、まだ「内孫・外孫」の意識が

強く、やっぱり男の子がいいよねって感じなわけですが、

今50〜60代の若いじいじばあばはもうすでに前述のような

マインドにシフトしているんですよ。

なぜなら我々母親世代が共働きで立場が強くなっちゃって、

子供を自分の実家の方に取り込んじゃうでしょ。

誰だって子供預かってもらうの義理の両親より自分の親の方がいいですからね。

家だって奥さんの実家に近いところに建てるのが今や定説です。

そうなると息子の嫁が産んだ孫は、嫁の実家に取られてしまうわけです。

 

三木哲夫さんはさらにこう言っていました。

 

「子供が男の子しかいなかったら、将来孫は手に入らないと思った方がいい」と。

 

女性がどんどん強くなっていきますから、この傾向はしばらく続くでしょうね。

今後のおばさん界の一番の「あがり」はこうです。

自分の娘が子供を産んで、さらに女の子である。

こうなると三世代でベタベタできるし、さらなるあがりの連鎖も期待できるわけです。

 

あがりだとかくだらないとは思うものの、どう生きても女性は死ぬまでなんやかんや

外野から言われ続けるのが人生なんですね。トホホです。

 

ただ女の子はロイヤリティは高いかもしれませんが、職場にいる70代の女性、

男の子も女の子も育てて、孫も男女両方いる方が言っていましたが

「女の子の方が育てやすいけど、男の子はとにかく“得も言われぬかわいさ”」だと。

女性の本能的には今も昔も、男の子の方が可愛いと感じるようにできてるんじゃ

ないかなとこっそり思っています。

 

 

出版業界における雑誌の売上がついに書籍の売上を

下回ったんだそうで、本当に雑誌が売れない時代なんだなぁと

思います。

雑誌が一番売れてたのが90年代の後半で、私なんてまさに

雑誌世代ですから感慨深いものがありますね。

一昔前はどの雑誌を読んでいるかがその人のステイタスや

ライフスタイル、趣味嗜好を表現するものの一つだったんですけどね。

私は高校時代はファッション誌はCUTIE、olive、音楽はロッキングオンジャパンでした。

スタジオボイスやSWITCHも好きでした。

オラは青森さいるげどトーキョーのカルチャーにゃくわしんだど!という

意気込みでしたね。

今は雑誌は図書館で借りるだけ。その中でもあったら必ず借りるのが

LEEと、2014年に創刊されたCHANTOです。

常に時短がテーマのCHANTO

 

田丸麻紀がイメージキャラクターってどこに需要があるのかわからないけど

oggiやSTORYは目の保養に立ち読み程度。

LEEとCHANTOはそこまで所帯じみてもなく、働く女性には実用的な

内容なので読み応えがあります。

あとCHANTOは季節関係なく1に時短!2に時短!3、4がなくて

5に時短!な内容なので、冬に夏号しか図書館になくてもあんまり

季節外れ感がありません。なんと前身はあの「すてきな奥さん」。

家族のために手の込んだレシピを真似て、よくわからん手作り

レジ袋入れとか作っていた昭和のすてきな奥さんも

今となっては頭の中は断捨離と時短のことばかりですよ。

 

私もCHAN奥に倣っておすすめの時短グッズを紹介しておきますね。

まずはこちら。その名も「ズボラーネット」。ニトリで売っています。

これは洗濯カゴと洗濯ネットがランドリーバッグが一体化したもので、

洗濯物をこの中に入れて口を閉じればそのまま洗濯機にかけられ、

終わったらそのまま持って干しにいけるという優れもの。

1日置きに子供の保育園関連の洗濯をすることにしてるんですが

子供の分だけこのズボラーネットを使えばかなり楽になりました。

 

続いてこちら。リッチェルの折りたためる洗い桶。

洗い物をその都度洗って水切りラックに入れるのがしこたま

面倒なので、一日分の洗い物をこの洗い桶の中に漬けておきます。

結構大きいので余裕です。そして晩御飯が終わったらすべて

食洗器に入れてしまうことにしました。

つけ置きしてる間に汚れもある程度落ちているので予洗いも

そんなに必要ありません。

使わないときは折りたたんで立てかけておくこともできます。

 

そしてこちら。エルセーヴの洗わないシャンプーです。

クレンジングクリームというものなのですが、泡立たない

クリーム状で、シャンプーとトリートメントとアウトバスオイルが

一つになっています。日本人は髪洗いすぎなんだってさ。

休みの日だけちゃんとシャンプーしますが、平日はこれと

ママバターのクレンジングミルクで顔も髪も洗わないことにしました。

入浴時間が5分以上縮まりました。使用感もいいです。

 

アプリ部門では電車の窓に貼ってあった広告にまんまと乗せられ

これを使い始めました。

タイムツリー

予定表を複数人で共有できるアプリです。

私はシフト制の仕事なのでダンナに一日子供をみてもらう日や

土曜保育をお願いする日などスケジュールが複雑化してしまうので

それを共有するうえでかなり役立っています。

忘れがちな保育園の行事や夕飯のあるなしなども記録できます。

 

死ぬほど悩ましい日々の献立つくりにはこちらを参考にしています。

オー!ガニック

おまかせや検索機能で献立を提案してくれます。

副菜や汁物もセットになっていますし、引っ張るだけで

何度でも献立を再提案してくれるので、「ちょっとこれは

無理そうだなー」と思っても大丈夫。

メシマズにはありがたいアプリです。

 

まあこんなところで日々数秒数分を削りながらなんとか暮らしています。

一番の雑誌の衰退の原因は、雑誌の宣伝くさい記事よりもこんな風に

一般人のブログでリアルな情報を集めたり、SNSで流行っている物の

方が雑誌に載っているより素敵に見えるようになってしまったせい

なんですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事のためもあって、マーケティングの本を何冊か読みました。

 


これはタイトルに惹かれました。

なんかヒット商品やプロモーションを考えるとき、「みんなこういうの好きかな」って

どうしても広く浅く考えてしまうんだけど、もうそういうのは古いんだと。

誰か一人の好みやニーズを完全につかんだら、それと同じ人がきっと100万人

いるだろうという考え方です。

ダサピンク問題とかあるじゃないですか。自分自身はモノトーンとか、トープみたいな

曖昧なくすんだ色が好きなんですけど、女性向けの商品を考えるときなんとなく

いつも鮮やかなピンクだの、カエルみたいなグリーンにしてしまう、みたいな。

安っぽい商品の典型的な二大色ですよね、ピンクとグリーン。自分じゃ絶対に選びません。

内容はさらっとマーケティングのセオリーのおいしいところだけ

かいつまんだような内容で理想論的でしたが、入門書としては読みやすくてなかなか。

その本の中に紹介してあって興味を持ったこちらの本はすごくおもしろかったです↓

 

グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ。

外人が書いた本ですが糸井重里さんが監修をしています。

グレイトフルデッドってあのクマのマークの昔からあるバンドですけど、

ぱっとメンバーの顔が思い浮かんだり、代表曲が言える人は一般的には

なかなかいないと思います。

ところが実はこの人たちはものすごい世界中にコアなファンを獲得していて、

興業的にはビートルズやローリングストーンズをはるかにしのいでいるんだそうです。

そのグレイトフルデッドの何もかもが先進的な方法論がわかりやすく解説されています。

非常にためになりました。

たとえばパソコンすらなかった時代に手紙やハガキで顧客情報を入手し、管理をしていたとか。

そして定期的に送られてくる会報には、専門家が考えた宣伝文句じゃなくメンバーの

素の言葉でパーソナルな内容が書かれており、顧客とのエンゲージメントをしっかりと

確立していたとか。

そしてほとんどのミュージシャンが自分の音源に規制をかけて流出しないようにする中

グレイトフルデッドはファンにライブを自由に録音させ、それをシェアさせていた。

ファンが自分で作ったオリジナルのテープが広まり、どんどんファンを増やしていたとか。

まさにフリー&シェアの先駆けですね。

 

 

長いタイトルの本。

今をときめくイケイケマーケターと、LINEの田端信太郎の共著。

これは読んでるうちにムカついてきました。

言わんとしていることはわかる、もっともなんでしょうけど要は自分たちが

当たった方法、儲けた手法をドヤ顔で後出し解説するというものです。

結局のところ、何が当たるかはやってみないとわからないじゃないですか。

そして狙えば狙うほどいいとは限らないのがこの社会。

たとえばどっかの学生生協かなんかでプリンの大量誤発注がツイッターで

広まって完売したとかいう話がありましたけど、あれを狙ってやるなんて

ほんとゲスいですよ。

それはこれがこうだったからよかったんだとか後からこじつけてもあんまり

意味がないかなと。

 

 

何冊か読んでみてそれなりに勉強になったし、理解もできたような気がしますけど

なんだかんだ言って、やってみたいことやるのが一番なんじゃないでしょうかね。

グレイトフルデッドだってきっと、顧客がどうのフリー&シェアがどうのと

考えてやってたわけじゃないと思うんですよ。

自分たちがしっくりくるやり方でやってたら、それがうまくいっただけのことかと。

いかんせん、人が人を動かすというのはおこがましく傲慢なことだなと思います。

最近滞りがちですがニヒル牛マガジンの方で続けさせて

いただいている映画感想ブログ『tamaxのマズい映画でも無いよりはマシ

なんですが、先日たまたまエゴサーチしていたらどっかのまとめサイトに

内容をまるっと使われているのを発見しました。

 

https://middle-edge.jp/articles/5wUy5?page=2

 

私の書いた『フック』についての感想の半分以上をそのままコピーされて、

“出典”とだけ書かれています。

もちろんこのライターさん及びサイト運営者から連絡など一切ありません。

100歩譲って私の書いた文章をそのまま勝手に使ってしまったとしても

それを引用して自分の考えをそれ以上長く深く書いているのならまだ

いいです。

ところがこの記事のライターさん自身の言葉はほんの一行だけ。

 

「物語には、色々な切ない真相が隠されているんですね。」

 

いやいや感心してる場合じゃないよと。これでお金もらってるんですからマジで

webメディアというのは気楽な稼業と来たもんです。

ただ私の戯言にそれほど価値があるとも思えませんし、私自身ブログを

書く時の映画の画像は拾ったものだし、目くじらを立てる権利はないと

思っています。

 

しかしどうもキュレーションメディアとかバイラルメディアとかいう

中国のテーマパークみたいなコンテンツとやらには抵抗があります。

志高く、本当に各ライターが誇りをもって有意義なサイトを作ろうと

しているサイトもあるんでしょうが…。費用対効果が難しそうですよね。

何がいやかってパクりで儲けていることよりも、なんでもそうなんですが

「不特定多数の人間にウケようとしている」魂胆を持ったものが

嫌いなんですね。

しかもそれがコトバや画像といった表現の分野で。

「たくさんの人に受け入れられるように」とか「多くの人に愛される」とかって

ほめ言葉のように使われますけど、そんなものになんの価値があるでしょうか。

私は漫画でも映画でも音楽でも、結果的にファンがいっぱいいて多くの人に

受け入れられていたとしても、作者が「どこかにいる誰かひとりのために」

作ったんだと感じられるものが好きなんですよ。

誰かひとりというか、自分だけのためにっていうかね。

作者から私への私信のように感じられる作品。

 

だから昨今のシェアされることを前提に書いたみたいなブログ記事とか、

大人から子供までみんなに愛されようとしてるアート作品とか、

量産型の女子に共感されようされようとしてる歌だとか、

一斉送信のメールみたいで何もおもしろくない。

自分が何か作ったり文章を書いたりするときは、それは本音を言えばたくさんの人に

受け入れてもらえたらうれしいですけど、作ってるときの気持ちは

いつもどこかの誰か一人のためにありたいなぁと思うわけです。