息子1が最近葛飾北斎の模写にハマっており、なぜか北斎に惹かれるものがあるそうで
すみだ北斎美術館に行ってきました。
天気も良くあったかかったので自転車で。墨田区へのサイクリングは最高です!
墨田川に沿って、有名な言問団子やアサヒビール本社(うんこ)を通り抜けていきます。
北斎美術館は2016年の開館のとき以来です。
館の目の前がちょっとした公園になっていて、すみだキッズが激しく遊んでいました。
葛飾北斎は墨田区の中だけで90回引っ越したという墨田区転居マニアだったというのですが
理由としては片づけられない人だったからというのが有力だそうです。
北斎美術館の中にリアルな北斎とその娘の蝋人形みたいのがあるんですが、
こたつから半身出たまま絵を描く北斎をぼけーっと眺めている娘(といってもおばさん)、
という状況で、その周りにはゴミやらなんやらが散らかりまくりという不思議な図なのです。
北斎は限界まで住んでいるところが汚れると、使い捨てのように転居していたのでは
ないかと言われています。娘もどうにかするでもなく、ただその様子を見守っている
やばい親子。
そんなに引っ越しても墨田区からは全然出なかったみたいで、よっぽどこの土地に
愛着を持っていたんでしょうか。
北斎美術館を見終わったあとは、ちょっと移動して横網町公園に。
ここは陸軍被服廠という関東大震災のときに多くの人が亡くなった場所です。
当時広い空き地のようになっていたこの場所に、震災後避難していた4万人が
火災旋風に巻き込まれて3万8千人も犠牲になったそうです。
(旦那の映像の世紀知識)
その死亡者の魂を祀る東京都慰霊堂という建物が建っています。
中にも入ってみました。古い建物ですが綺麗に管理されています。
中には火災旋風の様子を描いた絵や、地震で崩れる浅草の凌雲閣の絵なんかも
飾られていました。当時一番高い建物で、モダニズムの象徴だった凌雲閣が
崩れ落ちる様子はブリューゲルのバベルの塔の絵みたいで不気味で怖かったです。
同じ敷地内に東京都復興記念館というものもありまして、入場無料だったので
気軽に入ってみました。
やばい、あと2時間で西友が来てしまう。
気軽に入ったものの、中の展示の見ごたえはなかなかで、じっくり見ていくと
普通に1時間はかかります。関東大震災のほか、東京大空襲の写真や資料、
遺品などが2フロアに渡って展示されていました。
とくに息子1が引き込まれてたのは、被災して家族を失ったりした当時の
小学生が書いた作文と絵に、現代の墨田区キッズが朗読をして読み上げている映像。
子供の言葉が生々しくも、「その年のお正月は門松もなくてつまらなかった」など
子供らしい素直さもあって同じ子供として響くものがあったようです。
もう夕方近くて18時に西友の配達があるしで足早に見て帰りました。
帰り道の景色もずっと楽しくて心から墨田区が好きだという気持ちがあふれてきました。
もともと浅草や上野など、江戸時代の中心地にロマンを感じるタイプでしたが
墨田区にはなぜか心落ち着く何かがあって、もしかしたら前世は葛飾北斎の
娘だったのかもしれません。もしくは吉原に入り浸ってた旦那か。
子供たちが巣立ったら、家を売って墨田区の公団にでも住み替えようかしら。
窓の外にうんこを見下ろすマンションも公団だそうです。